筆者が理事長を務める昭和女子大学には子ども園から大学院まであるが、3月にはそれぞれの学校、園で卒業式が行われ、この4月には入学式が行われる。
節目の式を経て成長していく子どもたちの姿は、それぞれに感慨深い。中でも子ども園の卒園式では、涙ぐむ保護者がたくさんいらした。赤ちゃんだった子がよくぞここまで育ってくれたとの思い、そして、育児に奮闘したご自分の日々を思ってのことだろう。
そうした感動の風景がある一方、今年も保育園に入ることができない「保育園に落ちた!」子どもたちが多数いる。2歳までを受け入れる小規模保育園が近年増えており、従来の1歳児だけでなく、3歳児でも落ちた子が多数いるとも言われる。
日本の認可保育園には多額の公的補助金が交付され、保育士さんは有資格者、施設や設備の基準も厳しく、世界に冠たる高い水準である。しかしそうした環境を享受できる子がいる一方で、入園を申し込んだけれど落ちた子、無認可の保育所に行っている子、申請してもどうせ無理だろうと申し込みを諦めている子も多いことを忘れてはいけない。
こうして「他人事」になっていく
今年10月に予定される消費税の引き上げの見返りとして、幼児教育の無償化が実現しようとしている。「幼児教育は将来の日本を支える子どもへの投資であり、幼児教育の充実は人的資源の質の向上にいちばん有効だ」。そう言われれば、「そかな、そだね」とは思うが、公的資金が無尽蔵にあるならいざ知らず、限られた財源の中では、すでに顕在化している待機児童の問題を解消するほうが先。そう考えるのが妥当ではないかと思う。
しかし、”世間”においては、それは共働きする人の見方でしかないのだろう。結局、何を優先させるかを決めるのは、選挙でどちらが票集めに有効かを第一に考える政治家だ。2万人といわれる待機児童より、現在幼児教育を受けている数百万人の子どもの保護者の歓心を買うほうが賢い政策だと計算するのだろう。
かつて待機児童問題に悩んだはずの共働き家庭の“先輩たち”も、なかなか味方にはなりにくい。子どもをもって働く女性の多くは、保育園の充実を切実に望んでいる。しかし自身の子どもが保育園を終え、学齢になると学力や受験のことで忙しくなり、どうしても関心はよそに移っていく。また、待機児童問題は都会の問題であり、郊外や地方の人には関係のないことも多い。そうして待機児童問題は結局のところ、今時点の当事者以外の多くの人にとって「他人事」になってしまう。
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