──原典がかなりはしょられているそうですね。
初出は1947年で、その後国語の教科書や教科化前の道徳の副読本にも掲載されている。書かれた時期やカットされた場面を考えると、「みんなで決めたことは意見が違っても守ろう」という「民主主義の原理」を伝えることが作者の意図だったと思うが、教科書ではそうした部分が省略され、自己犠牲の必要性が強調されてしまった。そもそも、70年も前に書かれた高校野球の話を小学6年生の教材とすることに無理がある。
逆に新しいニュースを盛り込んで不適切な内容になったのが、ある教科書の補充教材「下町ボブスレー──町工場のちょう戦──」だ。下町ボブスレーをジャマイカチームが冬季五輪で採用と書き、乗り込んだ安倍首相の写真まで入れたが、実際は使われなかった。
教科書を使うほうが「楽」
──なぜこんなことに。
道徳の授業時間数を確保するための手段にすぎない教科化を急いだからだ。検定教科書は編集開始から採択までにほぼ3年かかる。道徳は新しい教科なので5年は必要だったが、授業の開始を急いだため、2020年度の新学習指導要領実施から2年前倒しになり3年しかなかった。
結果として過去の副読本などからの流用が多い。小学校の教科書を作る会社の全社が採用した話はすべて、2014年に文部科学省が公表した『私たちの道徳』に掲載されている。
──小学校では教科化されて1学期が過ぎました。
現場で聞くかぎり、教室で教科書を読むのが主体だ。楽だからね。少なくとも、すばらしい授業ができたという話は聞かない。
──2019年4月からは中学校でも教科としての道徳が始まります。今ある教科書の使用を前提にした軌道修正は可能でしょうか。
教科になった以上、使用義務があるので教科書を無視はできないが、算数と違って網羅的に教科書の内容を教える必要はない。なので、その中から教師が汎用性の高い、子どもたちの議論が深まりそうな話を選んで授業をすればいい。そして、それ以外は地域の人に手伝ってもらう。学校に招いて地域の昔話をしてもらうとか、反対に学校を出て話を聞きに行くとか。
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