日本人「怪物」アスリートが生まれにくい背景 アルゼンチン流の指導を体感した飯沼直樹氏
「日本の育成には余白が足りないんですよ。何でもかんでも詰め込みすぎて、子どもたちの可能性を狭めてしまう。これに尽きると思います」
日本人として初めて、アルゼンチン1部の強豪サッカーチーム・CAラヌースでコーチを3年間務めた飯沼直樹は、日本サッカーの育成事情についてこう断言する。
飯沼は現在、元日本代表の本田圭佑がプロデュースするサッカークラブ「SOLTILO FC」にて、U-13世代の監督として、日々子どもたちを指導に当たっている。
メッシやアグエロ、イカルディ、ディバラ……といった圧倒的な個を発揮するサッカー選手が年々輩出されるアルゼンチンの育成現場の最前線を知る飯沼や、各スポーツの指導者たちの証言から、”怪物”アスリートの育つ土壌を考えてみたい。
指導者=偉い、立場が上という考えは正しいのか
育成はその国の文化やメンタリティが色濃く反映される。たとえば、日本人の指導者たちが口を揃えるのは「日本人は与えられた役割をこなしたり、言われたことを完璧に理解する能力が高い」ということだ。
これは、部活文化や目上の人を敬うという一般的な日本人像に重なる部分があるだろう。一方で、飯沼のように海外での経験を経た日本人指導者の目線は少し異なる。
「今の日本でのやり方が間違っているとは思いません。ただ、トップ・オブ・トップの世界で活躍できる選手が生まれてくる可能性は極めて低いというのが私の考えです。
私が感じている問題点は、指導者と子どもたちの距離が遠いことなんです。たとえばアルゼンチンでは、指導者は子どもと一緒に遊んだり、スキンシップの回数が多いんですね。加えて、指導者が自分たちの考えや答えを子どもたちに押し付けることはほとんどない。
日本では、指導者の言うことは絶対で、選手と指導者の間には明確な力関係がある。詰め込み型の指導方法で、“育てる”という意識に、余裕や遊び心がある指導者の数は少ないですね。サッカーのように瞬間的なひらめきや、自由なアイデアが明暗を分けるスポーツにおいて、余白は大事な要素というのがアルゼンチンの考え方です」
飯沼が帰国後に、感じた違和感は”しなければいけない“ことの多さだったという。
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