日本人「怪物」アスリートが生まれにくい背景 アルゼンチン流の指導を体感した飯沼直樹氏
甲子園常連校に野球選手を多数送り込む、あるシニアチームの監督は言う。
「昔と比べシニアや高校野球では、保護者の意識が大きく変わってきていると感じています。シンプルにいえば、野球を進学の”道具”と捉えている保護者も増えていますね。ここの高校に進めば、東京六大学へ行きやすいから、この大学からは有名企業の社会人野球へのコネクションがあるなど、そういった保護者の視点が年々強くなっています。
野球を”塾代わり“と捉えている。ここが難しいところですが、プロを目指して結果的に進学するのと、初めから進学を考えてだと、成長度合いがまったく異なります。当然ですが、保護者の意識も大きく関係してきます。大谷翔平君のように、自分でメジャーに行くために何が必要かを考え、行動に移せる選手はごく一部ですから」(あるシニアチーム監督)
指導者の中にも、部活とクラブの差異は明確であるべきなのに、混同されているという声もある。
体罰の概念がない南米サッカー
昨今のスポーツ界では、体罰やパワハラ報道が異常なほど取り沙汰されている。実際にアマチュアスポーツの現場でも表に出ないだけで、泣きを見ている子たちの声も多い。体罰のイメージがあまりないサッカーに至っても、大会中に生徒に体罰を加える指導者はいまだ多く存在する。
ことアルゼンチンや南米では体罰という概念が希薄だという。その理由を飯沼氏はこう説明する。
「厳しい、厳しくないかといえばアルゼンチンの指導者たちはある意味では日本より厳しいですよ。指導の際には、『できないならクラブを辞めろ』という厳しい言葉を浴びせるときもあります。
ただ、殴る、蹴るという行為は見たことありません。そして厳しく接する際の、動機が明確なんですよ。南米では上を目指す子は、(貧困家庭であっても)親や周りからの期待も背負ってプロになることを目指している。日本のように金銭的に恵まれた環境の場合、厳しさを叩き込む手段として体罰を選択していることもあるかもしれません……。
体罰をしないと伸びないという認識は、指導者のエゴも関係しているとは思います。南米では、厳しさや緊張感を伝える方法として、体罰ではなく、ときとしてきつい言葉を浴びせることはあっても、すべて子どもたちの将来のためですし、必ず後でフォローします。何より本当に大切なことを伝える際は圧力ではなく、”対話”を選択していましたね」
日本でもパワハラと認められた日大アメフト部の元監督やコーチによる高圧的な”言葉の暴力”があった。しかし、アルゼンチンではあくまで対話の延長線上にあるものだったという。
この考えは南米に限った話ではないのかもしれない。世界最高峰のクラブであるレアル・マドリードのカンテラ(下部組織)で2004年から10年間育成世代を指導したイニアッキベニ氏も日本の指導方法は再考の余地があると提言する。
「褒めて伸ばす、というのが日本の指導者が圧倒的に下手な部分。大切なのは、いかにスポーツの楽しさを伝えるかという表現方法であり、好きなことであれば子どもたちは自分で考え、爆発的に伸びるんです。
指導者の体罰はスペインではありえないし、恥ずべきことといえるでしょう。子どもたちのための指導ではなく、指導者のエゴのための指導を行うようでは本末転倒です。暴力に頼らざるをえないのは、能力が足りないと自分で認めているようなもの。何より子どもたちの可能性を狭める行為といえるでしょう」(イニアッキベニ氏)
指導者や協会の問題が浮き彫りになりつつある昨今のスポーツ界において、その指導方法やスタンスが再考されるべきタイミングを迎えているのではなかろうか。
(文中敬称略)
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