日本人「怪物」アスリートが生まれにくい背景 アルゼンチン流の指導を体感した飯沼直樹氏
「毎月多くの子どもたちがクラブのテストを受けに来ますが、水準が達していないと判断した子には、『あなたはウチでやれるレベルではない。サッカースクールに通ってから、また受けに来てください』とはっきりと言います。
少しのお金欲しさで曖昧にするより、そのほうが子どもたちにとってもよいという考えです。だからレベルが保てるし、緊張感も生まれる。私自身も、日本では『真ん中より少し下のレベルに合わせて指導方法を考えろ』と教えられましたが、それが正しいのかは疑問に感じました。
素質がある子でも、この教え方では上を目指さずに天狗になってしまう可能性もありますし、現状に満足してしまうかもしれません。それほどジュニア世代の育成は繊細ですし、できる子をどう伸ばすかというのは課題でしょう。できること、できないことを混ぜこぜにしないことは日本に足りない部分です。今のままだと、間違いなくメッシやアグエロといったスーパー選手は日本から生まれないでしょう」
スポーツは教育の一貫という概念の是非
あるJリーグのクラブ関係者から聞いた言葉を思い出す。
「本来であれば、Jクラブはプロの養成機関であるはず。けれど、日本ではあくまで教育の一貫としてクラブが捉えられている側面が大きいんです。だから、1人の人間としての教育までクラブが面倒見る必要がある。当然、保護者や世間の手前もありますから。ただ、それなら高校の部活でいいのでないか、という意見もある。
幼少期から怪物になれそうな“素材”はいるけど、それを伸ばす環境がJリーグを含め、日本で整っているとは言い難い。結果的にサッカーも人間形成も中途半端になる選手がいるのも現実です。選手を育てて売るということは、欧州や南米では当たり前のビジネスモデルですが、そういった感覚を持つ関係者の絶対数が少ないのはジレンマですし、改善すべき部分でしょう」(Jクラブ関係者)
スポーツは人間性を育むうえでの教育の一貫である。これはサッカーに限らず、日本人に根深く浸透する考え方だろう。
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