一汁三菜「おふくろの味」には幻想がいっぱい 「おかずの数」プレッシャーはどこからくるか

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これこそ正しい食事だという感覚に苦しめられた(写真:iStock/kumikomini)
新聞記者を辞めた後、会社員と女性活躍に関する発信活動、さらに大学院生と3足のわらじを履きながらバリバリ働いてきた中野円佳さん。ところが2017年、夫の海外転勤により、思いがけず縁遠かった専業主婦生活にどっぷり浸かることに。そこから見えてきた「専業主婦」という存在、そして「専業主婦前提社会」の実態とそれへの疑問を問い掛けます。

「これが正しい食事」だという刷り込み

ホットケーキミックスで子どもたちにホットケーキを焼きながら、「あぁ、実家では、1度もミックス粉を使ったことがなかったな」と思う。

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小麦粉を量りふるいにかけ、砂糖を量り、ベーキングパウダーを入れて。これを入れ忘れると大変。膨らまない。今は卵と牛乳を入れてミックス粉と混ぜるだけだから何かを入れ忘れることなんてないし、焼く時間も入れて10分くらいでできる。使う食器もボール1つとフライパンくらいだ。

食事というのは365日、毎日3回あるから、育った家庭での「これが正しい食事」だという刷り込みは非常に大きい。私の家は、非常に手作り料理にこだわる家だった。カレーのルーもシチューのルーも、あの「かたまり」を溶かすのを見るのは学校の林間学校での飯盒炊飯のときだけ。母はカレーはスパイス粉、シチューは小麦粉からルーを作っていた。幼稚園から高校まで続いたお弁当生活で、冷凍食品が入っていたことはただの一度もない。

父もよく料理をしていて、朝早く築地に行って入手してきた魚をさばいたり、一時期ブリオッシュやピザも父のお手製だった。そういう両親に感謝というかすごいと思いつつも、これこそ正しい食事だという感覚は、自分が子育てする側に回って長らく私を苦しめた。自分が子どもの頃はクッキーやケーキをよく手作りしていたけど、日常的な料理は最も苦手な家事になった。料理はひどく手間のかかるものだという感覚が背景にあったのではないかと思う。

夫と付き合いだした頃、はじめて休日家に遊びに行くと、彼は私に一切の料理を求めずに、参鶏湯(サムゲタン)を作ってくれた。「1人で作ると多すぎて、食べてくれる人がいるとうれしい」という趣旨のことを言われたことが「僕作る人、私食べる人」じゃないが結婚の1つの決め手になった気がする。そのくせ、私は夫がシチューのルーを使うのを見て(なにも手伝わず、いただくくせに)ひそかに「邪道」と思っていた。

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