岩村氏は2005年に『<現代家族>の誕生』(『「親の顔が見てみたい!」調査』に解題し、2010年文庫化)で非常に興味深い分析をしている。1960年代生まれ以降の女性たちが大して食事を作っていないことについて、なぜなのかを明らかにするためその女性たちの母親にインタビューをしているのだ。
その結果によれば、母親たち(2004年末時点で平均年齢64.5歳。現在は平均年齢80歳前後の世代ということになる)は、幼少期に戦争前後で幸せな食生活もしていなければ、家事を手伝う場合も火を起こすなどの作業をしており、決して料理を教わるような余裕がなかったという。その世代は、長男に嫁ぐことを避けて、高度経済成長期に「サラリーマン」として団地に住むことにあこがれ、料理教室やテレビ番組を通じて料理に講じてきた様子が描かれる。
つまり、そもそも母親世代(現在の80歳前後)が豊かなおふくろの味を経験してきたわけでもなく見習って引き継いできたわけでもなく、雑誌やテレビ番組を見て「皆こうやっているのか」と標準化した家庭料理を作り始めた。そして自分も教えられたことがなければ娘に教えたこともなく、大人になってから日常的な料理をしていないことを知らない。そして、知ったとしても「個人の尊重」として干渉することはしないのだという。
前述の品田氏ら(2015)は岩村氏よりも量的に時間的な変化、年齢や階層を加味した詳細な分析をしているが、和食の特徴とされる「一汁三菜」はもともと茶の湯におけるもてなし料理としての懐石料理であり日常食ではなかったこと、その中で専業主婦が歴史上最も多かった1975年前後でさえ一汁三菜はさほど浸透していないことなどを指摘している。
品田氏らによれば、確かにファストフードや「中食」の利用や冷凍食品などの活用は増えているが、江戸時代や明治時代にも加工食品を売り歩く人はいた(むしろ冷凍食品などはすべてが手作りでなくても、それでも家庭で手を入れるという意味で家庭料理規範を強化させている側面もある)。つまり、丁寧に和食を作る時代や家庭は確かにあったかもしれないが、それはほんの一時期のことである。
さらに自身が1964年生まれの品田氏は「自分がすべて引き受けることなど無理である、と考えてきたのが私のような1960年代以降生まれの女性」で、母親世代が自分たちに料理を教えなかったのは、「自分たちの世代のようにすべての炊事に関する役割を引き受けることを、あえて強要しなかったのも母の世代だろう」と述べ、岩村氏が「和食の崩壊」と若干嘆きのトーンで描く「ビュッフェ食卓」(家族のメンバーがそれぞれ好みのものを食べる)についても、家族内の個の尊重と葛藤回避の技術として「十分に合理的な選択」と述べる。
にもかかわらず、子どもの弁当に母の愛情を込めることや家庭の団らんと食を結び付けて考える言説は根強い。昨今は政府も食育を打ち出し、家庭の役割を強調するが、品田氏らは他方で雇用の在り方は家族そろって夕食を取ることができるケースを激減させている(子どものいる核家族では1988年から2012年までで半減)ことを批判的に指摘している。データによれば、丁寧な盛り付けをしているからといって夕食時の会話が弾んでいるとも限らず、過剰な母親へのプレッシャーは間接的に少子化にもつながっているのではとの示唆もある。
おかずの数を求めるのはだれか
このプレッシャーは、日常的にはどこからどのようにかかってくるのだろうか。
岩村氏の本にも出てくるが、子どもは、手間暇かけても、特定のものしか食べなかったりする。品田氏らの調査でも「料理の品数は少なくても、栄養バランスがとれていればよい」と考える女性も多い(品田氏の調査で76.7%)。そうすると母子の食事は非常に簡素になっていったりするのだが、それによくも悪くもブレーキをかけるのが、父親の帰宅だ。
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