しかし、数十人の会社ならともかく、「さん付け」にしたから、100人の会社が家族的になることはないし、まして大企業において、1万人が家族的になり、社内の風通しがよくなることは考えにくい。
社内の風通しをよくするのは、ひとえに「社長の人徳」「上司の人間的魅力」。要は、社長が、上司が、「恐怖政治」をしないこと、「上から目線」で社員や部下に接しないこと。これに尽きる。
大切なのは呼び方でなく「上位者の人格」
「さん付け」をしても「傲慢社長」や「上から目線の上司」であれば、風通しがよくなるはずもない。社内の風通しが悪いとすれば、「さん付け」よりも、徳のない、あるいは魅力のない上司を排除、追い出したほうがはるかに有効である。まして、降格人事や転職を前提にしたアメリカの、ファーストネームで呼び合うのを知らず、サルまねして、アメリカのように「さんづけ」がいいなどと言うに至っては、救い難い。
ならば、アメリカは、それで会社は風通しがいいのか。私の友人の甥が、ここ数年、ボストンの会社で責任者をやっているが、彼の話を聞くと、事が決まるまでは、いろいろ社員も意見を自由に言っているが、いったん、決まると、風が止まったように、誰も社長や上司に口出しできない。少しでも異議を唱えると、即、「明日から、出社に及ばず」とクビになるという。古い話だが、フォードのアイアコッカは、オーナーと口論しただけで解雇され、ライバルのクライスラーの会長になっている。
「さん付け」は、なにより、本人の責任意識を希薄にする。実感としていま、私自身、「さん付け」で呼ばれることが多くなったし、それを愉快に思っているからか、以前ほど「責任の自覚」はない。肩書で呼ぶのをやめて、「さん付け」で呼ぶのは、それぞれの会社の自由だが、そうすべきだと主張するならば、少なくとも、私のように、名刺に肩書を記すのをやめてはどうか。社内での責任者をつくらないことにしたらどうか。取引先でも、出てきた部長や課長を「さん付け」で呼んだらどうか。
「たかが肩書、されど肩書」。社長・上司は、よく考えて、みずからの人徳を高める努力をするとともに、肩書の重要さを、社員・部下に指導したほうがいい。「肩書は、威張るためのものではない。責任を自覚し、人間的成長を心掛け、部下を慈しみ、以って、社内の風通しをよくするためのものだ」と。そのような「社風づくり」こそ、「社内の風通し」をよくする究極の対応策である。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら