最高指導者くらいは、先憂後楽の心掛けで
経営者はいったん経営者になったら、遊ぶようではあかんな。本来、経営者が心を許して遊ぶというようなことをしてはだめや。社員の人が遊んでおっても働いておるとか、たとえ遊んでいても、頭のなかでは仕事のことを考えておるとか、そういうことでないとな。
そういうことでは身がもたん、という人もあるかもしれんが、たとえそれで命を落としたとしても、それは大将としての本望や。そういうことが、かなわんかったら、経営者になるべきではない。
ひとつの会社のなかで、全部が全部、みんながみんな、心を許して遊んではならんとは言わんけれど、少なくとも、会社の最高の指導者になった人たちは、そういう覚悟というものがいるわな。それを、一般の従業員と同じように遊びに行きます、休みをとります、そんなことを言っとったら、どうもならんがな。
せめて、ひとつの組織の最高指導者の人ぐらいは、先憂後楽の心掛けで、その会社の将来に命を懸けるほどの思いがなければ、経営はうまくいかんね。みんながみんな、上から下まで遊びとか休みとか、そんなことを考えておって、なおかつうまくいく、経営が成功するなどということは、本来有り得ないことや。経営というものは、そんな簡単なもんではないわ。
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