静寂のなかに、ひとつの動き
この庭を見ておると、右側の、あそこな、流れに岩で段差をつけたところ、小さな滝のようになっているところな、あそこだけやな、動きのあるところは。ほかは全体どこにも動きがない。いろいろな木があって、池の水面があって、という趣(おもむき)であるけれど、動きはほとんどないな。全体としての動きのない景色のなかで、ただ一点、あそこだけ激しく動いている。これがええと思うな。
まあ、昔、利休さんのお茶室の庭に朝顔がたくさん咲いた。その評判を聞いた太閤さんが、わしも見たいということで、出かけたけれど、どこにもない。利休さんは太閤さんが来る前に庭の朝顔を全部刈り取ってしまった。「利休はけしからんやつだ」と立腹しながら、お茶室に入ると、そこの床の間に一輪朝顔が生けてあったそうや。それがお茶の華というか、わび、さびというか、そういうもんらしい。わしにはようわからんけどな。以前、そういう話を聞いたことがある。そうだとするならば、あの、水が流れ落ちているところは、朝顔やな。静寂のなかに、ひとつの動き。
どや、ええやろ。あれも以前はなかったものや。あれを作るとき、いろいろ工夫して、こちらからでも見える。けど、あんまりわざとらしくならん角度で、こちらから見ることができる。そのために、庭師さんにずいぶんと無理を頼んで、何回も何回もやり直して、あれを造ったんや。なあ、なかなかええやろ。うん。
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