松下幸之助は些細なことにもこだわりを持っていた。『商売心得帖』という本の表紙をつくったときもそうであった。
「心得帖」というタイトルの持つ雰囲気を出すために、デザインは昔の和綴(わと)じ風がいいだろう、それでは全体を紺地として表題のところを白く抜き、そこに「商売心得帖」と印刷するといいだろう、ということを決めた。
しかし実際には、このやり方が意外に難しいということがわかった。白く抜いたところに文字を印刷すると、当時の技術では、わずかな文字のゆがみであっても非常に気になってしまうのである。
この本は不良品やで
「技術的に難しいから、こういうやり方はやめてほしい」と印刷会社の担当者が言う。なるほど、そんなものかと私はあっさりあきらめた。そのかわりに表紙全体を紺色に印刷して、その上から「商売心得帖」と印刷した短冊型の紙を貼ろうということになった。
出来栄えは上々だと思った。東京に出かけていた松下に連絡すると、すぐに持ってきてくれと言う。三冊ほど持って新幹線に飛び乗った。
松下電器の東京本社の松下の部屋で見せると、にっこり笑って、「うん、できたか。これ、なかなかええやないか」と喜んでくれた。しかし、ページをめくりながら、あるいは表紙まわりを眺めながら本を見ている、そのうちに松下の笑顔が消えた。おや、と思った瞬間、「きみ、この本は不良品やで」と言う。
どこが不良品なのかと思っていると、松下はその本を目の高さに持ち上げ、表紙を水平にして横から眺めた。
「ここのところが、凸凹しとるやろ。これはあかん」と言いながら、表紙の白い紙のところを指でなでている。
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