松下が「160歳まで生きる」と言いだしたのは80歳のときであった。誕生日にある人からお祝いをもらったところ、その熨斗(のし)に「半寿」と書いてあった。「半」という字を分解すると「81」になる。満80歳は数えで81歳だから、それで半寿という。言葉の遊びにすぎないが、80歳が半分ならば「全寿」は160歳。それでは自分は全寿をまっとうしよう、と言いだしたのである。
松下がこのようなことを言いだしたのは、これが初めてではなかった
130歳まで生きると言い出したことも
その前には106歳まで生きるのだ、と言ったこともある。106歳まで生きると、19世紀から21世紀までの足かけ3世紀にわたって生きることになるからであった。あるいはそののち、130歳まで生きると言ったこともある。日本の長寿記録が124歳だから、その記録を破りたい。125歳まででもいいけれど、まあ、切りのいいところで130歳までにしようということであった。
130歳まで、と松下が言いだしたころ、私は京都・大徳寺の立花大亀老師に呼びだされたことがあった。「松下さんが130歳まで生きるとか言っておるようだが、もし生きれんかったらみっともない。ああいうことを言わないように伝えてくれ」ということであった。
しかし私はそれを松下に伝えることはしなかった。なぜなら、松下はたとえそれより早く死ぬことになったとしても、そのぎりぎりまで全力を尽くして生きぬくだろう。しかしもし、死ぬのが明日かもしれない、1年先かもしれないなどと考えていれば、その生き方も必然、力弱いものになってしまう、と思ったからだ。
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