春になると新しい芽がでて、やがて若葉から濃い緑になっていく。枝は伸び、年々歳々同じからず。そのような風景を見ていると、なんとなく自然の理法というものを実感することができる。
「自然の理法とはなにかということは、ようわからんけど、万物を万物たらしめている力、あるいは法則といったもんやろうな。水が高いところから低いところへ流れるのも、物が上から下へ落ちるのも、まあ、自然の理法というもんやろう。そういう理法が厳然としてこの宇宙万物に働いておる。そういう自然の理法というものの特質とはなにかと言えば、それは生成発展ということだとわしは思っておるんや」
宇宙全体、万物ことごとくが常に動いている
仏教ではこの世は無常だという。常ではない、すなわち動いているということである。宇宙全体、万物ことごとくが常に動いている。そこまでは誰も異論がないであろう。さて、その動き方をどうみるか。衰退とみるか、発展とみるか、不変とみるか。この世自体は何も語らないのだから、それは人間の見方にゆだねられている。
松下は生成発展であるとみた。
「なぜなら、きみ、第一そう考えたほうが人間にとって幸せにつながるやないか。ますます発展するという理法のなかで生きておるとすれば、そこに人間の努力の意義も出てくるわな。けど、そうではない、だんだんと衰退していくんだとするならば、人間はどんなに努力しても意味がないということになるわな」
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