邦人初!宇宙飛行士トップの「上り詰める」力 なぜ目立たなかった彼が、化けたのか?

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日本人で初めて、国際宇宙ステーションの船長になる若田光一飛行士

生まれながらにして「リーダー」の素質を持っている人はまれだろう。この秋、4度目の宇宙飛行に飛び立ち、日本人初の国際宇宙ステーション(ISS)船長として、宇宙飛行士チームの指揮をとる若田光一でさえ、「自分はリーダーとして人の前に立つようなタイプではなかった」と言う。

ISSの船長と言えば、エリートぞろいの世界の宇宙飛行士約100人のトップに立つ存在だ。しかし、過去の記事で書いたように、宇宙飛行士選抜試験で選ばれたとき、若田は飛び抜けて高評価を得ていたわけではなかった。若田自身も「受験者は世界で活躍する科学者や技術者が多く、選ばれたときは『なぜ自分なのか』と思った」と語っている。

だが若田はその後、飛躍的な進化を遂げる。日本人で初めて、宇宙でロボットアーム操作や船外活動を担当できるNASA宇宙飛行士(ミッションスペシャリスト)の資格を取り、日本人で初めてNASA宇宙飛行士室のロボットアーム教官を担当、日本人初のISS滞在……など、若田のタイトルの多くに「日本初」の冠がつく。そして、今や世界の宇宙飛行士集団の中でも、船長として指揮を執る、ごく一握りのトップ集団に上り詰めたのだ。

その「進化のカギ」はどこにあるのだろう。

特殊な英語を理解するための「秘策」

若田は1992年4月、宇宙飛行士候補者に選ばれ、同年8月にNASA宇宙飛行士養成クラスに入る。この養成校はそれまで外国人にはほとんど門戸が開かれておらず、若田は初の日本人だった。

当時、若田は29歳。初めての海外赴任だった。宇宙の知識がほとんどないまま訓練に入り、米国人達と一緒に専門的な授業を受ける。まもなく若田は大きな壁に直面する。訓練で使われる英語が理解できないのだ。

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