邦人初!宇宙飛行士トップの「上り詰める」力 なぜ目立たなかった彼が、化けたのか?

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「飛行中、後ろの席で若田がブツブツつぶやくので、何をしてたのかと聞くと、管制官とのやり取りを反芻し録音しているのだと。さらにわからなかった内容を質問する。『こいつはスゴイ』と思ったね。世界トップの才能がありながら努力している。外に見せない姿を私は知ってるよ」と自分の仲間を自慢するように話してくれたのだという。

シャトルのシミュレーション訓練についても仲間の訓練に立ち会わせてもらい、勉強した。休日返上で必死に英語や宇宙システムの勉強に格闘した宇宙飛行士候補者訓練が、約20年の宇宙飛行士人生で最も苦労した時期だ。

でも「キツイと感じるときが、伸びるときです」と若田は言う。訓練開始から1年ほど経ったあるとき、「トンネルを抜けた瞬間」を感じた。「それからは、シミュレーション訓練が楽しくて仕方なくなったのです」。

高い壁を克服できたことは、自信につながったようだ。若田はその後の訓練で、あえて難しいレベルの内容を自らに課していく。

たとえばT38ジェット練習機訓練では、外の景色が見えないように内側からカバーで覆い、計器だけを頼りに飛行した。操縦を担うパイロット宇宙飛行士だけに課される高度な訓練だが若田はこの訓練が、船外活動やロボットアーム操作など、宇宙飛行中のあらゆる作業の基本センスを磨く場になると考えて挑戦。好んで計器飛行を行う姿は、教官や技術者の間で評判になったという。

40度の発熱…限界で試される「自分」

こうした地道で泥臭い努力を重ねていき、若田は1996年、2000年の2回の宇宙飛行で、ロボットアームを使った難しい作業を成功させた。そのずば抜けた技量が評価され、若田はNASA宇宙飛行士室でロボットアームの教官に任命される。

また、2003年に起きたスペースシャトル・コロンビア号の事故後、宇宙でシャトルの耐熱タイルなどを検査するロボットアームシステムの開発が飛行再開の条件になった。若田はその開発にNASA宇宙飛行士室代表として抜擢される。低予算・短期間の開発を成功に導き、若田は宇宙でも地上でも、めきめきと頭角を現していった。

一方、「リーダーシップ」については、「難しかったが訓練で磨いていった」と若田は言う。具体的にどんな訓練を行ったのか。

NASAがリーダーシップや、リーダーを補佐するフォロワシップ、チームワークを鍛える目的で導入している訓練のひとつが「NOLS訓練」だ。約10日間の野外訓練で、山や海など心身ともに厳しいストレス環境下に身を置き、毎日、リーダーを交替しながら移動する。

夏山では重たいリュックを背負い、冬山ではさらに荷物用のそりを引きながら、急勾配の雪の斜面をスキーで何時間も登り、目的地を目指す。リーダーはメンバーの状況を見ながら、目標地点や経路、休憩を取るタイミングなど行程を決める。天候状態によっては行くか引き返すか、という究極の判断も行わなければならない。

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