パントマイム歴40年の男が説く「やりきる力」 情熱はすべてを動かす原動力になる

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こうして学びを求めていた時期に、カンジヤマ・マイムを語るうえで欠かせないもうひとりの人物に会うことができました。当時、渋谷にあった小劇場「ジァンジァン」に、芸人のマルセ太郎さんの猿の形態模写を見るために向かったのですが、残念ながら、そのころマルセさんは既に映画を題材とした芸を中心に据え、猿芸はやっていませんでした。ですが、そこで偶然、司会をする永六輔さんの話芸に触れたんです。どんどんその話に引き込まれていく不思議な感覚。この時、「今のパントマイムにこの話芸のエッセンスが加われば最強だ」「永六輔さんの話芸をそばで見て、盗みたい」と、永六輔さんを目指すようになりました。

永六輔さんは、当時、毎月第一月曜に、同じく渋谷のジァンジァンで「六輔七転八倒」という、独演会をやっていました。まずはそこに通い始めることに。毎回溢れんばかりの感激をハガキに書いて、永六輔さんのマネージャーにずっと永さんへお渡し頂けるよう手渡しし続けていました(笑)。

――パントマイムへの情熱だけが、藤倉さんを動かしていたんですね。

藤倉氏:手紙を受け取る側の都合も気にせず、ただひたすら自分の想いをハガキにぶつけていましたね(笑)。ところが一年半くらいたったある日、突然、永六輔さんから思いがけずハガキを頂いたんです。そしてそのハガキに「この次の舞台、45分お任せしますから」ってそれだけ書いてあったのです。もう大興奮!!結果的には、それがぼくのパントマイムデビューのきっかけとなりました。

それから、永六輔さんはことあるごとに、ぼくを旅に誘ってくだいました。旅先でぼくのパントマイム芸能を評価してくださり、時には厳しい言葉を、あるいは時にはパントマイム芸をやり続けるための、次へと繋がるアドバイスをいただきました。松尾芭蕉や種田山頭火の俳句をマイムで表現する「俳句マイム」も、「欧米の真似ばかりでなく、日本らしいマイムをやってごらんなさい」と言っていただいたことがきっかけで生まれた芸でした。これらは情景描写を視覚化する点において、動きのバラエティを蓄積するのに大いに役立ちましたし、現在の演目にも活かされています。

次への道に繋がるチャンスを、その後も幾度となく与え続けて下さった永さん。ぼくが、返しきれないご恩への感謝の気持ちを伝えようとすると、永さんは照れるように「恩は返してくれなくていい。誰か別の人に」と言うんです。自分ではなく誰かのために。そんな粋な人でした。永六輔さんの素敵な言葉は、多くの人たちに影響を与えましたが、ぼくの心の中にも今もなお、永さんの言葉は生き続けています。

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