パントマイム歴40年の男が説く「やりきる力」

情熱はすべてを動かす原動力になる

演目の一つに『青年、壮年、老人、死』というものがあり、「タイピスト」で見たよりも、さらに人生の機微を凝縮したパントマイム、彼の息づかい、そして息を飲む展開に衝撃を受け、見終わった後、ぼくはしばらく固まっていました。内容もさることながら、それに感動できる自分の内なる想い、「感動の種」を発見できたことがとても嬉しくて、それまでの無為な日々から救ってもらったような気分でした。そして心の底から感じたんです。「これがやりたい! こんな風に、人に驚きと感動を与えられる人間になりたい」と。

――ようやくパントマイムという「次に進むべき道」が見つかったんですね。

藤倉氏:見つかったのはよかったんですが、パントマイムを本格的に学ぶための学校は当時日本にはなく、そのほとんどはアメリカかフランスにしかなかった。とことんやるためには大学を辞めて、留学しなければなりませんでした。ただ、それを親にどう切り出すか。そもそも、ぼくが家業を継がないことを薄々承知のうえで大学に進ませてくれたのに、今度はせっかく入った大学を辞めて、しかも家族の誰も知らない「パントマイム」を学ぶために、アメリカに行きたいなどと、どう考えても理解されないことを伝える勇気がなかったんです。

ただ、ぼくのそうした鬱積した想いは身体に影響を及ぼし、とうとう顔面神経麻痺として表れてしまいました。幸か不幸か、その症状のおかげで、結果的にはパントマイムへの想いを親に伝えることができたのですが、期待を裏切ってしまったようで、本当に申し訳なかったですね。それでも、「自分が心底感動させられた」世界を見てしまった以上、そのまま不本意なことをやり続けるわけにはいかなかったんです。

はじめて心の奥底を揺さぶられ、自分で見つけたパントマイムへの道は、自分の力で掴みたかったので、渡航費用と学費は自分で稼ごうと決めました。当時池袋にできたばかりの商業ビル「サンシャイン60」で、昼はエレベーターボーイ、夜は警備員と、寝る間も惜しんで働いていましたが、まったく苦ではなかったですね。「とにかく早くアメリカでパントマイムの真髄を学びたい」、その一心で働いていました。

情熱のすべてを捧げて誕生した「カンジヤマ・マイム」

藤倉氏:朝昼晩働いて得たお金を貯金し、その合間に英語の勉強もして、ようやくアメリカに渡ることができたのが1年後。留学先は、稼いだ範囲内で通え、かつ最高峰の学びを得られるニューヨーク州立大学に決めていました。すべてをパントマイムに捧げるつもりで行ったので、大学での授業はもちろん、生活すべてに至るまで、アメリカでしかできないことを、とことん学んで帰ろうと思っていました。

マルセル・マルソーの愛弟子であるアメリカパントマイムの巨匠、トニー・モンタナロ氏に師事することも、大学の教授に勧められました。これもアメリカでしかできないことのひとつでした。大学を卒業後は、さらに学びを深めるために同大学の演劇学部の修士課程に進み、その2年間では大学の学部でマイムのクラスを教える機会にも恵まれました。この時に、マイムを演じるだけでなく、教えるという今のぼくの軸ができあがったんです。

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