「おれには、もう、何もないのよ、何もないのよ」50歳目前で半身不随、仕事も妻も失った元歯科医の実話≪家族は知らない真夜中の老人ホーム≫

脳梗塞で若くして人生のすべてを失った元歯科医と著者との、絶望のなかにわずかな希望を見出そうとする交流の記録(写真:mapo/PIXTA)
老人ホームには、失った仕事や家族のことを考え続けて深く絶望している入居者もいます。病気などがきっかけで身体が不自由になり、それまでの生活を失って、老人ホームへ入居してきたのです。
本記事では、10年間老人ホーム職員として働いた川島徹氏の就労記『家族は知らない真夜中の老人ホーム』より一部を抜粋し、脳梗塞で若くして人生のすべてを失った元歯科医と著者との、絶望のなかにわずかな希望を見出そうとする交流の記録をお届けします。
*記事中の人名・施設名などの情報は、すべて個人が特定できないよう、記述の本質を損なわない範囲で改変しています。
麻痺した左半身
どすんと音がして、トイレのほうから「助けてくれー」と男の声。さきほどトイレ誘導した元歯科医の井上秀夫さんの声だった。
しまったー。
彼が用を足し終わるまでそばで待っているわけにもいかず、二宮アヤさんの着替えの介助をしているときだった。
目の見えない二宮さんは布団のうえで上半身肌着1枚にされ、にこにこしていた。とりあえず彼女の肩に上着をかけ、「ちょっと待ってな」と言って、トイレに駆けつけた。
哀れにも井上さんがトイレの床に倒れていた。
武岡にある民家を改造したグループホーム、その南側のトイレは狭く、そして井上さんは大柄である。便器と壁の間に挟まれて動きがとれなくなっていた。
「どげんしたと。動かないでと言ったがな」
井上さんはトイレの壁を睨らんだまま返事をしない。
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