パントマイム歴40年の男が説く「やりきる力」 情熱はすべてを動かす原動力になる

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――とことんやる性格は、パントマイム以前から……。

藤倉氏:これには、ぼくの母の教育方針が大きく影響しているんです。ぼくの実家は、千葉県松戸市で江戸時代から七代続く「畳店」で、三人姉妹の長女だった母は、「職人に高等教育は必要ない」と、勉強したくしてもできない環境で育ったそうです。長男であるぼくも、将来は暗黙の了解で畳店を継ぐことになっていたのですが、母は「同じような想いをさせたくない」と、「学問はあなたの身を助けるもの」「そのためならお金に糸目はつけないから、好きなだけやりなさい」と、幼少時、近くを流れる坂川を散歩するたびに繰り返しぼくに言っていました。「勉強だけでなく、自分がこれと思ったものは、何でも納得するまでやりなさい」とも。今思い返すとそうした母の想いがあって今のぼくがあるんだなと、感謝しています。

英語にどっぷり浸かっていく中で、英語を駆使して世界で活躍できる同時通訳者に憧れ、英語の勉強にますますのめり込むようになりました。そのころには、ぼくの中で「畳店」を継ぐことはもうほとんど頭になかったのですが、いよいよ大学進学をすることになり、家からも半ば、仕方がないと思われるように。とはいえ、本当に好きだった英文科に進むことはなんとなく罪悪感があって言い出せず、「就職に有利だから」と繕って、あまり興味のない学部に進んでしまいました。

なんとなく、附属からそのまま進んだ大学。ちょうど同じ時期に、同時通訳という職業が自分には向いていないことにも気づいてしまいました。同時通訳者は逐一話者の言うことをそのまま伝えることが仕事で、感情も私見も入り込める余地はないことに、ひと言付け加えてしまいそうな自分の性格では無理だと感じたんです。

せっかく許された大学進学。入学早々にして、ぼくは目標を見失ってしまったんです。興味のあった分野で選んだ学部ではなかったので、講義にも身が入らず、ほとんど出席していませんでした。その代わりに、単位にならないけれど本来興味のあった英文学関連の講義を受けたりしていました。

今につながる最初のきっかけとなったのも、もぐりこんで受けていた他学科の講義でした。英文科の鳴海四郎先生(当時文学座顧問)の講義で、アメリカの戯曲、マレー・シスガル作の『タイピスト』を鑑賞したのですが、人間の人生をわずかな時間に凝縮して魅せる、「創造的歪み=Creative distortion(※藤倉氏造語)」に魅せられた最初の出来事で、鳥肌が立つほど感激しました。こうした経験が少しずつパントマイムとの出会いにつながっていったんだと思います。

「感動の種」に水をまいてくれたパントマイム

情熱はすべてを動かす原動力になる

藤倉氏:すっかり演劇の持つ魅力に取り憑かれていたぼくは、友人から「ちょっと面白い舞台を観に行かないか」と誘われて、その後のぼくの運命を大きく決定づける、ある演劇を観に行きました。それは、パントマイムの世界的巨匠マルセル・マルソーのパントマイム公演でした。

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