パントマイム歴40年の男が説く「やりきる力」

情熱はすべてを動かす原動力になる

大学院も無事修了して日本に帰国する段になり、師匠であるトニー・モンタナロから、「感じる心が山もりのパントマイムを日本で広められるように」と、名付けられた「カンジヤマ・マイム」はこの時に生まれました。1985年、ぼくは27歳になっていました。

たくさんのチャンスを与えてくれた“師匠”との出会い

――パントマイムへの愛をたくさん詰め込んで、カンジヤマ・マイムとして日本に帰ってきました。

藤倉氏:ところが、帰国した当時、日本ではまだパントマイムの認知度は低く、知られていても、大道芸の一つという域を出ておらず、ぼくが学んできた演劇の要素を取り入れたパントマイムだけをメインにやれる仕事は、どこにもありませんでした。

帰国してしばらくは、「どうやってパントマイムを仕事にできるか」を考えながら、生活のために英会話学校の講師をふたつ掛け持ちでやっていました。そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、日本で一番、パントマイムに近い芸能で道を究めている人物を追いかければ、何か今後のヒントに繋がるだろうと考えついたんです。

「どうせなら、日本で一番のマイム的な芸を持っている人を追いかけてみよう」と、「あやつり踊り」と呼ばれる芸の最高峰であった、落語家の雷門助六師匠(先代)に会うため、寄席をやっていた国立演芸場の楽屋に向かったんです。世間知らずの若気の至りですね(苦笑)

――いきなりの頂点、しかも楽屋に押し掛けてしまった(笑)。

藤倉氏:当時の自分としては、それくらい真剣だったし、それ以外に考えられる方法がなかったんです。勿論、師匠の周りにいた芸人さん達からはたいそう白い目で見られましたが、助六師匠からは業界のルールを優しく諭していただき、お断りされました。当然と言えば当然の成り行きでしたが、この突撃のおかげで、思いもかけない幸運に恵まれたんです。

突撃むなしく、仕方なしに演芸場から新宿駅へ向かうバスに乗ったのですが、偶然にも高座を終えられた師匠がひとりで同じバスに乗ってこられたんです。さっきの今でしたから、こちらは驚きましたが、当然のように隣の席に座ってくれて、「弟子にはできないけど」と言いながらも、芸の秘訣や裏話、参考になるビデオなど、たくさんのことを教えてくれました。たった十数分間のほんのわずかの“師匠と弟子”のお時間でしたが、忘れがたい大切な思い出です。

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