パントマイム歴40年の男が説く「やりきる力」 情熱はすべてを動かす原動力になる
ぼくたちの「カンジヤマ」というのは、「“感じる”心が“山”もり」になったマイムという意味を込めて名付けられたもので、公演先の主催者には「感動が山もりでなければ、お代は要りません」とお伝えしているくらい、全身全霊を込めて活動しています。ステージを駆け回り、時には大声を出し、全身で感情を表わしているので、公演を終えた後は、もう汗びっしょり(笑)。観客の皆さんと一緒になってショーを形作っています。
また、落語協会にも正規会員として属していて、話芸も用いた演芸場用のマイムもおこなったり、早稲田大学や上智大学で、それぞれマイムの歴史と理論の講義を担当したりと、パントマイム三昧(ざんまい)の幸せな毎日を送っています。
――藤倉さんは人生のすべてを、パントマイムに捧げているんですね。
藤倉氏:パントマイムに魅せられて40年以上。今でこそ、自分が感動したこの道を歩むことができていますが、最初から将来のビジョンが描けていたわけでも、突出した才能に恵まれていたわけでもありません。そんなぼくが、今こうしてパントマイムで大勢の観客の前で表現し、感動を分かち合う機会を持てているのは本当に幸せなことだと感じています。
もちろん、ここに至るまでは、決して順風満帆ではなく、途中には投げ出したいほどの辛い出来事も確かにありました。それでもこの道を歩くことをやめなかったのは、パントマイムの中に見た「憧れ」が、強烈に自分の中に根を下ろしていたからなんです。はじめてパントマイムを目にした時の衝撃。「自分もパントマイムがやりたい!」。この単純で強い憧れこそが、ぼくのすべての出発点でした。
好きなことをやり切る素地を作ってくれた母の教え
藤倉氏:パントマイムに出会うまで、ぼくは野球と英語に夢中になっていました。ちょうど『巨人の星』世代で、小学生の時に最初にはまったのが、野球でした。ただ、実際にプレイするよりも、「なぜカーブは軌道を描いて曲がるのか」といった理論の方に興味があって、同級生たちが『巨人の星』の登場人物になりきって練習している中、ぼくは理論書を読みあさって、頭の中でも野球をしていました。
次に興味を持ったのは英語でしたが、これは中学生の時、英語の教育学者である松本亨先生の『英語の新しい学び方』という本を偶然手にとったことがきっかけでした。この時も、取り憑かれたように英語に関する本を片端から読みあさり、それでも飽き足らず英語塾にも通わせもらい、さらにはネイティブの先生から本場の英語を学びたいからと親にせがんで、学費は高額でしたが、私立で英語教育が盛んな立教大学の附属高校である、立教高校に進ませてもらいました。