乙武:だから、私の中では「競争を勝ち上がってきた」というより「競争相手が見当たらない」という感覚なんです。それは、私にとっては3割ぐらいありがたいことであり、7割ぐらいはもどかしい部分でもあるんです。
中川:もどかしい? そこをちょっと教えてもらえますか。
誰かほかにいないの?
乙武:正直、「乙武さん」というポジションはしんどいので、できたら誰かに代わってほしいところがある。(一同笑)
乙武:私は2007年4月から2010年3月まで小学校の教員をやっていたので、メディアに丸3年ほとんど出ていなかったんですね。3年ですよ。普通タレントさんが3年間も仕事を休んだら、そのポジションはまあ取って代わられると思うんですよ。
ところが3年ぶりに小学校教員の契約を満了して、正直、もうオファーはないかなと思っていたら、どんどんいろんな依頼をいただいて、瞬く間に忙しくなった。そのときも「うれしいな、ありがたいな」という気持ちと同時に、「大丈夫かな、この国は」と思ったんです。
3年もの間に、障害当事者として社会的にメッセージを発信できる人材を、メディアは見つけ出すことができなかった。つくることができなかった。「どれだけ人材が枯渇しているのか」と思ったんですよね。それを、私はものすごく不健全なことだと思っているんです。
『五体不満足』出版以降、この18年間、私は障害者の代表かのように扱われ続けてきました。けれど、そもそも障害とひと口に言っても、身体障害、知的障害、視覚障害、聴覚障害、発達障害、ありとあらゆる障害があるなかで、到底私はそれらすべてを代弁できるわけがありませんし、代表面(づら)なんかできるはずがないんです。でも、メディアはそれを求めてくる。だったら、せめて私が3年間もいない間に、誰かを探してこられないのか、と。第2、第3の「乙武さん」を最も待ち望んでいるのは誰よりも私だと思っているんですけど、私がメディア復帰した途端、「じゃあ乙武さん、よろしく」というのは、すごく危険だなと思ってるんですよね。
中川:メディアも多少探してはいると思うんですけれども、でも乙武さんの存在は唯一無二になってしまっている。もしかしたら乙武さんと同じぐらい賢くて、話が面白い人たちが他にいるのかもしれない。障害者の実態を語れるかもしれない。なのに、そういう人材がメディアには不在なんですよね。
乙武:本当にいるんですよ、たぶんね。今回も8カ月ほど活動を自粛しているあいだに、相模原のやまゆり園で19人が殺害される事件があり、パラリンピックもあり、日本テレビの「24時間テレビ」に対する、感動ポルノという批判も起こったりと、障害者という言葉がキーワードになる社会的事象というのがいくつもあったわけです。そのたびに「活動自粛中」の私にワーッとコメント依頼が来るんですよ。
「誰かほかにいないの? こちとら不倫で日本じゅうから袋だたきに遭っている身だよ」と。自分がメッセージを発信したいという気持ちもありますが、「俺以外いないのかよ」というもどかしさも、同時に感じていました。
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