──この本は「新・新・文化産業論」といえますか。
30年近く前に『新・文化産業論』を書いた日下公人先生がこの本を読んだら、「僕の考えをクドクドと理屈っぽく言っているだけ」と、感想をおっしゃるかもしれない。
確かに、技術で勝っている企業ももちろんある。「神の手」といわれるような0・1マイクロメートルを制御できる職人の現場もつぶさに見た。しかし、文化の開発での勝ち方は確実にある。それをレアケースの枠に入れていいとは思えない。ソニーの前身、東京通信工業時代に井深大さんは炊飯釜を作っていた。その時代はユニークなおじさんと見られていただろう。有名な会社になってから取り上げたときは、成長論で斬れるが、市場の発生論というまったく違ったアプローチも必要だ。
──「問題の発明」型の人物になる方法はありますか。
問題の発明は決して特別なことではない。自分のわがままな考えをわがままと思わずに、こんなことがあっていいと考えついたら、できそうにないという無意識の自己規制を外せばいい。
──知らない人と友達になれとも。
その効用は、意図せざる情報をインプットできることだ。とかく役に立ったという自分のフレームの変化には気づかない。そうでなくても、情報はあふれている。だが、自分自身の必要、不必要の情報判定はあいまいであやふやな中で行われる。今感じている必要性は、知り合いの中での入手では高がしれている。組織にいると、結局ある人の手のひらの上で動いていることにどうしてもなりがちだ。とかくアクシデントやハプニングが起きなくなっている環境にいるのに、そうなっていることに気づかない。この意図せざる友人によって生き方が変わる。