このときの若狭氏の言葉が忘れられません。「たまに来る息子家族が居心地がいいように、私がこれからも生涯ひとりで寂しく暮らせば、息子たちはいいお父さんと呼ぶのか? 冗談じゃない、パートナーに代われるくらいに息子家族が、私の話し相手になれるというのか?」。
そしてこの彼は、とても印象深い言葉を残しました。「いちばん寂しいと感じるときは、夜眠るときでも、ひとりで食事をするときでもないのだよ。散策中や一人旅をしているときなどに出会うはっとする瞬間、たとえば沈む夕陽があまりにも美しいときなどに、『美しいね!』と共に感動できる人がそばにいない孤独感はたまらない」というものです。
ひとりで見る夕陽が好きな人もいるでしょうから人それぞれですが、伴侶を亡くした人がすぐにパートナーを求めることに、年齢や時期はあまり関係ないと考えます。そして若い人の恋愛が純粋で、伴侶を亡くした壮老年が、すぐにパートナーを求めるのは不純だという考えにも私は同意できません。
発想を転換して、親の再婚を祝福しよう
曇心さん、そもそもあなたの義母のように先立つ人が、必ずしも夫の再婚を望んでいなかったとは限りません。残す夫に対して、息子夫婦に必要以上に世話をかけたり心配させる存在になってほしくなく、またその後数十年を夫がひとり寂しく暮らすことを望まない人もいます。
それに再婚したとしても、夫の先妻の思い出や、夫が大切にする先妻の供養を共に大切にする後妻の話は、よく聞きます。
私がこの種の話でいちばん印象に残っているのは、日本にいる人なら知らない者がいなくて、その恩恵を被っていない者もいないぐらいのグローバル企業の創業者である男性の再婚話です。この場合は共に老年ではなく、お互いに未婚の子どもが数人ずついる年齢でした。その創業者の子どもたちは若くして亡くなった母親の代わりに、ある女性が新しい母親になってくれればいいのにと、憧れるのです。
その子どもたちの憧れは、女性の積極的な働きかけで実現したと記憶しています。その創業者の手記を読みましたが、再婚後の話も感動的でした。
ここでは詳しくは触れませんが、この“後妻さん”は、彼女の生前中に夫と先妻の夫婦墓を建て、同じ敷地の後方の隅に小さく自分の墓を建てた人です。再婚後の夫と継子たちにどれほど力になった人か、私がここで触れなくとも、ご想像がつくと思います。
曇心さん、世の中には本当によくしてもらった姑に、後ろ脚で砂を浴びせる不届きな嫁もザラにいます。これに対しあなたは亡き姑への思いやりに満ちあふれ、本当に優しい人です。義父に関する限りは夫の思いを尊重し、その優しさと冷静な目で、義父を見守って差し上げられるようお勧めします。
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