単に「変わった器械」として庶民の人気を呼ぶと、大名屋敷に出張して、披露するほどまでになったが、本人としては科学がただの見世物として終わったことに、残念な気持ちだったことだろう。収入はよくなった半面、「怪しい発明品で人を惑わした」という不名誉なレッテルが貼られることになった。
『放屁論』という著作の後編では、エレキテルを発明した浪人「貧家銭内(ひんかぜにない)」を登場させている。言うまでもなく、源内自身をモデルとした人物だが、こんなことを言わせている。
「わしは大勢の人間の知らざることを工夫し、エレキテルをはじめ、今まで日本にない多くの産物を発明した。これを見て人は私を山師と言った。つらつら思うに、骨を折って苦労して非難され、酒を買って好意を尽くして損をする」
自分は正当に評価されていない。そんな鬱々とした思いが、源内にはあったようだ。源内のところにいた職人がエレキテルを偽造し、詐欺を働いたことも逆風となった。経済状況が段々と苦しくなってくるなか、大変な事件が起きてしまう。
勘違いで人を斬りつけて獄中で死亡
ある日、源内のもとへ久五郎という男が泊りがけでやってきた。
源内は、とある大名の別荘修理の見積もりについて、久五郎と争っていたのだが、この日、実際に会って説明したところ、和解。2人で請け負うことに決め、そのまま酒を交わしての祝宴に入った。
ところが、朝起きてみると、見積書がなくなっている。
源内が久五郎を追及するが、知らないと首を振る。頭から彼を犯人だと決めつけていた源内はこれに激怒した。いきなり刀で斬りつけて、久五郎を殺害してしまう。
凋落への焦りもあったのだろう。下り坂の源内にとっては、それほど大事な仕事だったのかもしれない。
だが、まもなくして久五郎が盗んだはずの書類は、すぐに手箱のなかから発見される。すべては源内の勘違いだったのである。
大変なことをしてしまったと、源内はその場で自殺しようとするが、周囲の制止もあって果たせず、獄舎に入れられる。
しかし、一命をとりとめたのもつかの間、自殺しようとしたときの傷から破傷風にかかり、源内は52歳の生涯を終えた。
そのマルチぶりから「和製ダ・ヴィンチ」とも称された源内。その最期は、早とちりからの獄中死というあまりにも残念なものだった。
【参考文献】
芳賀徹『平賀源内』(ちくま学芸文庫)
新戸雅章『平賀源内 「非常の人」の生涯』 (平凡社新書)
平野威馬雄『平賀源内の生涯』(サンポウジャーナル)
清水義範『源内万華鏡』(講談社文庫)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら