源内のベストセラーを紹介したが、彼の作品としてある意味、有名なのが『江戸男色細見 菊の園』である。これは、江戸時代における陰間茶屋の案内書。つまり、男娼を斡旋する茶屋のガイド本だ。
当時は「衆道といえば源内先生に聞け」と巷で言われているほど、その世界でも有名だったという。
もっとも江戸時代においては、ごく身近な話題として、男色について語られていた。たとえば、江戸時代に出版された『田夫物語』では「男好き(美少年好き)」と「女好き」に分かれて、男色・女色の優劣が論争されている。
ちなみに、本のタイトルに「田夫」とあるが、江戸時代では、女色ばかりで男色を知らないものを「田夫野人」と呼んだ。要は「田舎者」。これに対して、男色派は「華奢(きゃしゃ)者」と呼ばれ、ファッショナブルな都会的な粋人とされていた。
そんな背景を踏まえると、平賀源内が男色だったことは、むしろ自然なことにも思えてくる。なにしろ、源内はいつでも革新的で、最先端をいく男だったのだから。
「エレキテル」に源内が失望したワケ
仕事でもプライベートでも、世の流行を作り出してきた平賀源内。だが、何かと話題になる割には、鉱山事業や、木炭製造事業、陶器製造などのように、失敗に終わった仕事が実は少なくない。

源内の仕事として最もよく知られているエレキテルについては、故障した摩擦起電器を長崎から持ち帰って、いじくり回すこと、7年あまり。電気の原理を独学で学びながら、エレキテルの復元に成功した。
エレキテルはもともと治療用に使われていたため、源内も医療機器として使用を試みた。だが、電流が弱く火花がぴりぴりとする程度で、効果は見られなかったようだ。
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