日東駒専から「再受験」して中央大 《負けまくりの人生でも最後に勝てればいい》 努力して彼がつかんだ道

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そのまま中学受験はせずに地元の公立中学校に進んだ佐藤さんは、中学校の最初の成績は5段階で基本的にオール3。英語と数学は4でした。中学2年生になると、勉強のコツを掴み、成績がオール4になり、中学3年生になっても成績を維持しました。

「平日は塾に通っていましたが、休みの日には野球のクラブチームに入って野球をしていました。当時、プロ野球選手になれるとは思っていませんでしたが、甲子園に憧れていました。将来就きたい職業に関しては、警察官の祖父から公務員がいいのでは、と勧められていたので、ぼんやりと公務員になろうかなと考えていました」

そうして迎えた高校受験で、佐藤さんは第1志望に落ちてしまい、併願で合格した野球部が強い偏差値60の私立高校に進むことを決めました。

こうして、佐藤さんの受験人生は高校受験の失敗からスタートします。

甲子園に行く夢はかなわず

「私が入った高校は進学を目指すコースと、部活に力を入れるコースがありました。野球部の子は部活に力を入れるコースに入ることが多かったのですが、私は進学コースで野球を続けました」

最後まで部活に勤しんだ佐藤さんは、最終的に地方大会はベスト8に残りましたが、甲子園に行く夢はかないませんでした。

「部活が終わるまでは勉強のことはまったく考えていませんでした。野球に専念してることをどこか誇りに思っていましたね」

一方で、ぼんやりと公務員になろうと考えていた佐藤さんは、とりあえず大学に一般受験で入ることに決めて、模試を受けてみます。すると、偏差値はわずか30。中学3年生のときの偏差値が、半分になってしまいました。

「ひたすら野球をやっていたからこの結果もしょうがないと思いました。それでも、引退後、学校の授業の後に毎日3時間程度しか勉強していなかったので、今思うと大学受験を舐めていました」

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