センター試験では、英語8.5割、現代文6割、古文10割、日本史6割と、3教科合計で75%に到達。現役時代に比べ成績は伸びたものの、目標としていた学習院大学には届かず、3学部受けて全落ち。
唯一合格した日東駒専レベルの大学に1浪で進むことを決めました。しかし前回の受験に続き、3度目の第1志望校不合格の経験は、彼にとっては心残りになってしまいました。
「予備校の先生によると、『1浪で日東駒専に進む人は全然いる』という感じでしたが、この結果が人生でいちばん悔しかったです。勉強計画を見直すと、やはり日本史の時間が足りていませんでした」
心残りを抱えたまま大学に進学
自分の中でも心残りがあるまま大学に入った佐藤さん。
大学に進学してからも自分の中でモヤモヤが残っていたそうですが、大学に入ってすぐ友達から塾講師のアルバイトに誘われ、アルバイトをするようになります。
「塾で勉強を教えていると、勉強を教えるのが楽しくなり、次第に教員になりたいと考えるようになりました。『先生のおかげで、テストでいい点取れたよ!』という声は本当に嬉しかったです。どの教科を教えるのも好きでしたが、中でもやりがいがあるのは英語だと思いました。
しかし、英語の教員になるには当時の学部では無理だったので、転部をするか、もう1回受験をするかを迷っていました。そこで、塾の教え子たちが志望校に受かるのを見て、再受験しようと考えました。大学3年生になるタイミングで、英語の教員免許が取れる学部学科に行こうと思ったこと、これまでの受験人生に心残りもあったことから、リベンジを果たしたかったので通っていた大学を退学しました」
親には英語の教員になりたいと告げて挑戦の意思を示し、「そこまで言うならやってみれば」と理解を得たそうです。
こうして3度目の大学受験を決意した佐藤さんは、塾の講師を続けながら宅浪をする決断をします。第1志望は早稲田、最低ラインをGMARCHと決めて勉強を続けました。
「早稲田の問題を解いていたらGMARCHが簡単になると思って、当時の自分には高い目標を掲げました。ただ、受験費用は自分で出そうと決めていたので、アルバイトして受験するお金を貯めつつ勉強する1年でした。
塾で勉強を教えていたので、前回の受験時よりも学力が上がっていたのはよかったですね。この年は週3から5回、17時から22時に個別指導塾でアルバイトをして月7万〜8万円を稼ぎつつ、毎日8時間くらい勉強をしていました。バイトがない日には10時間は勉強していたと思います」
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