日東駒専から「再受験」して中央大 《負けまくりの人生でも最後に勝てればいい》 努力して彼がつかんだ道

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ところが、この生活スタイルを続けながら受けた河合塾の11月の全統センター試験プレテスト(現:全統プレ共通テスト)の偏差値は、英語60.1、国語43.7、日本史62.2。GMARCHではD判定が出ていました。

一方で、佐藤さんは気持ちを切り替えていました。「模試の結果よりも過去問で取れるほうが大事だと考えていました。GMARCHの過去問を解くと合格最低点を超えることが多かったので、今度こそ合格できる、という感覚がありました」

濱井正吾 浪人 公務員
佐藤さんがつけていた過去問(中央・法政)の点数記録(写真:佐藤さん提供)

そうして迎えた3度目のセンター試験では、国語が6割に終わるも、英語と日本史で9割以上を取り、合計で81%といい成績を残します。

ついに中央大学に合格

一般受験では、早稲田大学の教育学部・文学部に加えて、GMARCHを6学部受験しました。

残念ながら早稲田大学は不合格だったものの、無事GMARCHに4学部合格し、その中から中央大学文学部に進学することを決めました。

「うれしかったというよりは、安堵した思い出があります。お金と時間を費やして、ニートにならなくて済んだと。早稲田はダメでしたが、目標にしていたGMARCHに4つ受かったので、リベンジできてよかったです」

こうして、佐藤さんは、4浪の年齢で中央大学文学部に合格し、進学しました。彼は4度目の受験で初めて、成功という結果を残したのです。

浪人で入った大学を退学し、22歳で中央大学に入学した佐藤さんは、結局教員を断念しましたが、関東で公務員になって、現在も勤務しています。

「中央大学に入ってから集団塾でアルバイトを始めたのですが、授業中に暴れる子がいて、そういう子への対応が難しいと悩んだんです。その経験を経て、自分は教えるのは好きだと思っていたんですが、それは自分の指導についてきてくれる、勉強に意欲のある子を教えるのが好きだっただけなのだと気づき、教員になるのは違うかなと思いました。

その後、年齢のことを考えて公務員試験を受けようと思い、3年生から対策を始めました。1年勉強して合格したのですが、公務員試験では、塾で英数国を教えていた経験、そして何より今までの受験の経験が引き継がれていたので、私の人生における受験の中でいちばん楽に結果が出ました」

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