日東駒専から「再受験」して中央大 《負けまくりの人生でも最後に勝てればいい》 努力して彼がつかんだ道

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とはいえ毎日勉強を続けていた甲斐もあって、12月に受けた模試では偏差値が40台まで上がりました。しかし、なんとなく憧れがあったGMARCH(学習院大、明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)を受験したものの不合格。日東駒専レベルの大学も合格はかないませんでした。

センター試験の結果は、英語5割、現代文7割、日本史6割と、合計58%。センター試験の2科目併願で、唯一大東亜帝国(大東文化大、東海大、亜細亜大、帝京大、国士舘大)レベルの大学に1校だけ合格をもらいましたが、彼にとっては高校受験に引き続き、2度目の第1志望校不合格でした。

彼はこの結果は納得がいかずに浪人を決断します。浪人した理由を聞くと、「まだ伸び代があると思ったから」と答えてくれました。

「合格した大学でもいいかなと思ったけど、まだできるんじゃないかと思ったのです。高校3年生の8月から受験勉強を始めて、スタートは偏差値30でしたが、5カ月で偏差値が10伸ばせたのだから、このまま進学するのはもったいないと思ってしまいました。今考えると、『そう思うんだったらもっと勉強しとけよ』という話ですが(笑)」

GMARCHを目指して浪人開始

なんとなくGMARCHに行きたいなと思い、予備校に入った佐藤さんは、当時の先生に就職に有利と勧められた学習院大学を第1志望に設定して、浪人生活を開始します。

平日に毎日1コマ90分の授業を4コマ受けて、6時間を自主勉強に充てた佐藤さんは1日12時間の勉強をこなしました。勉強時間は飛躍的に増えましたが、「今になって思うけど、効率が悪かった」と当時の自身の勉強について振り返ります。

「授業の復習と自分の勉強をするには、6時間では足りませんでした。例えば、古文の授業を受けてから自分で問題を解けるレベルまで理解しようとすると、毎日やっていた英単語・英文法・日本史などの時間が足りず、勉強計画が破綻しました」

「量はこなすけど、定着しないまま前に進まざるをえず、全部中途半端な勉強に終わった」と当時を振り返る佐藤さん。それでも模試では偏差値50を超えるようになりました。

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