「麻布に合格も"大学受験では3浪"」 なぜ落ち続けてしまったのか? 今の仕事にも生きる《浪人の学び》

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勝負の3浪目は、再度駿台予備学校の市谷校舎に通うことを決めたものの、また授業に出れなくなってしまいました。しかし、さすがにこのままではまずいと思った彼は、後期から代々木ゼミナールの単科コースを受講します。これが彼には合っていました。

「代ゼミの単科コースは最後まで受講することができました。好きな授業を選べましたし、授業時間もそんなに多くなかったのがよかったです。特に、物理の為近和彦先生の授業は僕に合っていたと思います。為近先生の物理の1日に90分×2回の授業は、僕の人生で唯一、すべて出られた授業ですね」

この年こそ医学部に受かると思ったが……

予備校に加えて、高校のときに通っていた塾の物理の先生にも1浪のときから3浪の終わりまで3年間見続けてもらったこともあり、物理の成績は大きく上昇。この年最初に受けた5月の駿台模試でA判定を取ってから、A判定は取れなかったものの、成績も安定し出したそうです。

3浪目は勉強時間が10時間に到達する日が増え始め、この年こそ医学部に行けるかもしれないと思った大北さん。しかし、センター試験本番では、例年200点中140点ほど取れていた国語で大失敗をしてしまいました。

「この年は物理100点。数学もI+AとII+Bどちらも9割といい成績でした。ほかの科目もいい点数で、今年こそ医学部を受験できると思ったのですが、最後に採点した国語が78点しかなかったのです。

それまでフィーリングでなんとか解いていた科目なので、緊張もあって問題文にないことを勝手に想像してしまったことが大きいかもしれません。結局、センター試験の点数は覚えていませんが、東大の理3に前期試験で出願して足切りになったのは覚えています。ショックでしたから」

こうして4年連続で医学部を受験して第1段階選抜の足切りにあった大北さん。しかし、さすがにそろそろ大学生になりたいという気持ちもあり、この年は例年対策をしなかった早稲田の理工学部の過去問を、合格しやすそうだと思って4〜5年分解いて挑みました。

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