「麻布に合格も"大学受験では3浪"」 なぜ落ち続けてしまったのか? 今の仕事にも生きる《浪人の学び》

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「高校2年生までは駿台の模試を何度か受けて、偏差値50は超えるけど、70はいかないというような、当たり障りのない成績だった気がします。

麻布では実力テストが年に3回あって、その成績がよければ志望校に受かると聞いていたので、高校2年生くらいまで学年で2桁の順位の自分は大丈夫だと思っていました。

でも、高校3年生の実力テストや模試に理科が入ったことによって、一気に成績が落ちてしまいました。そのころになるとみんな大学受験のために真剣に勉強し始めていましたが、僕は高校3年生になっても勉強量が増えなかったので、解けない問題もどんどん増えていきました」

現役では横浜市立大学の医学部を志望したものの、センター試験で800点満点中600点程度に終わってしまい、第1段階選抜で足切りに終わります。滑り止めで受けた私立大学も不合格で、浪人を決断しました。

当時の夢は「宅浪」

浪人しようと思った理由を大北さんに聞いたところ、「単純にどこも受からなかったから」と答えてくれました。

「大学に入らないというのは当時の自分の人生プランにはありませんでした。高校生活が終わると大学生、大学生が終わると社会人になるので、朝早く起きて夜まで学校や会社にいるという生活がずっと続くと考えていました。

それを打破できるのが、1年間の宅浪だと思っていたので、浪人をネガティブなものとは捉えていなかったです。そのため当時の夢は宅浪をすることでした」

「1年間時間があるし、そこそこ勉強して大学に合格して、1年を満喫しよう」と思った大北さん。

しかし、結局家で勉強するのは難しく、「まったく勉強しなかった」と振り返ります。成績は少し上がったものの、現役と同じくセンター試験は600点台で、どこかの医大の第1段階選抜の足切りにあったことだけは覚えているそうです。

早慶も何個か受けて、慶応の経済学部は補欠だったものの正規合格にはならず、全落ちで1浪目が終わりました。

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