さすがに宅浪は向いていないと反省した大北さんは、2浪目からは駿台予備学校市谷校舎に通うことに決めます。
しかし、家から1時間半かかるという立地がまた、授業から大北さんを遠ざけてしまいました。
「家から近かったのは横浜校ですが、僕の中では『医学部といえば市谷』という認識がありました。しかし、もともと不真面目な人間が、通学時間が長い授業に出るのは難易度が高かったですね。
駿台に通い出して2〜3週間すると、出席する授業がほぼゼロになり、予備校でできた友達と市ヶ谷のドトールで勉強する日々になりました。勉強は喋りながら、合間にちょこちょこする程度で、1日1時間やっていたかどうかという感じですね」
このころ受けていた駿台模試も判定ははっきりと覚えてないそうですが、60を超えていた数学以外は、偏差値50〜60程度だったようです。
「現役のときは理科が手つかずでしたし、数学もやってない分野があったので、そう考えるとちょっとは勉強が進んだかなという感じです。ただ化学は最後まで全部終わらなかったですね」
この年もセンター試験では600点台。国立大学は第1段階選抜で不合格。私立大学も受験したかどうかは記憶にないそうですが、どこにも受かっていないことだけは確かでした。
3浪突入で危機感を抱く
3度目の全落ちで、3浪に突入した大北さん。この結果を受けて、「さすがにまずい」という危機感が芽生え始めました。
「2浪のときもやばいとは思っていましたが、一緒に3浪する高校の友達が1人くらいになってしまったのでとても焦りました。勉強しなければならないとずっと思ってはいたのですが、勉強習慣が身についていませんでした」
大北さんは、自身が落ち続けた理由を、「難しい問題をやりたがっていたから」と分析します。
「予備校に通っている周囲のレベルが高かったですし、使う参考書も『トップを目指すならこれくらいしなきゃ』と基礎もできてないのに難しいものばかりやっていました。勉強が続かなかったのは、それが大きな理由だと思います。
模試も難しい駿台模試しか受けてなかったのですが、ほかの模試も受けていい判定を取り、成功体験を積むのが勉強を続けるうえで重要だったなと思います」
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