「串カツ田中」競合と一線を画す居酒屋業態の変容 全面禁煙にいち早く着手して既存客が一時離れるも、支持を回復したワケ

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少し前まで「串カツは大阪の食文化」というイメージだった。東京の下町にも串カツを提供する店はあったが、全国的な知名度はなかった。そんな大阪文化を首都圏に根づかせたのが「串カツ田中」だ。

屋号の「田中」は串カツレシピを残した人

屋号の「田中」は、創業者の1人で副社長だった田中洋江氏の父・勇吉氏にちなむ。大阪出身で串カツが大好きな娘のために勇吉氏が家で作っていた串カツ。そのレシピが洋江氏の自宅から見つかった。

レシピをもとに味を再現したらおいしくて、東京・世田谷に串カツ専門店を開いたのがスタートだ。当時は創業者の貫啓二(ぬき・けいじ)氏(現会長)の資金も限られていた。

繁華街ではなく住宅街に激安物件を借り、店内の施工は自分たちでも行い、白を基調とした。什器は簡素だが照明を明るくし、女性や家族連れでも入りやすい店にした。結果的にこれが身近さの演出にもなり1号店は行列ができる店となる。

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