インドの沙漠で痛感した日本人のヤバい「劣化」 電気まみれの生活で日本人が失ったものとは

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ラクダに乗ったインド人
「電気に支配された日本人」が失ったものについて解説します(画像:Rawpixel/PIXTA)
多様性の時代、文化人類学の必要性がだんだんに認知されるようになってきました。本稿では一人の人類学者が「自分壊し」の旅に出た顛末をつづった『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく』より、沙漠での狩で感じた「電気に支配された日本人」が失ったものについて解説します(一部抜粋・再構成しています)。

驚くほど目がいいインド人

彼らの生活を観察していくなかで驚かされたことはたくさんある。その1つに、沙漠で暮らす人々の身体能力の高さがある。まず、彼らはとにかく、目がいい。

沙漠では、ラクダが生活必需品だ。何かを運ぶにも、どこかへ移動するにも、観光客を乗せて歩くのにも、ラクダがいなければどうにもならない。また、立派なラクダを所持していることとか、毛並みや装飾が見事であることとか、何頭持っているかなどが、社会的なステータスをあげたり、家族やコミュニティの誇りとなったりする。

しかし、沙漠の民たちはラクダを、僕らが飼う犬のように鎖で繫いだり、犬小屋に閉じ込めたりしない。両足にゆるい足輪(手錠ならず、足錠とでもいうのか)をはめて、放し飼いにするのだ。

この足輪は歩くスピードこそ弱めるが、その緩さゆえに、ラクダの移動を可能にする。夕方になって集められたラクダたちは、足輪をされて放置される。その後彼らは、左右の前足を(足輪の小さな緩みを利用して)前後にこまめに動かしながら、トテットテッと好きな方向に歩き始める。どこに向かうのかは、風まかせ。夜も暗くなってくると、もはや自分たちのラクダがどこに移動してしまっているかは、わからない、はずだった。

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