しかし、1日24時間たえず仮面をかぶり続けていたら人はどうなるでしょう。
ありのままの自分を生きることができず、厳しい言い方をするなら「偽りの人生」を強いられるのです。禅が説く、「今この瞬間に、自分がいるその場所で、できることを精一杯やる」という生き方とは、言えません。
それに、相手が10人いたら10人の異なる自分を演じないといけないのだとすると、人生はあまりにも窮屈です。繊細で、周囲の目を察知するアンテナが敏感な人なら、なおのこと。生きているだけで心をすり減らしてしまうはずです。
ときには、ありのままの自分をさらけだす時間を持つことです。
仮面をかぶらない方がいい
「明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)」という禅語があります。
すべてが隠すところがなく、明らかに現れている、という意味です。
思えば「自然」とはまさにそのようなものです。野山に生きる動物たちは、あるがままの姿で、そこに生きています。
人間もそのように、ありのままの姿で生きたらいいのです。
おそらく、私たちが仮面をかぶるのは「いい人」と思われたいからではないでしょうか。
悪く思われたくない、人間関係のストレスを回避したい。そう考える人が性別や年齢を問わず増えている印象があります。
確かに、仮面があることで避けられるストレスは少なくないと思います。ですから、私も、仮面をすべて捨てよと申し上げるつもりはありません。
ですが、いい人の仮面をかぶっていると、いよいよ自分の露(ありのままの姿)が出せなくなります。
素直な感情が出せないのですから、心は死んだも同然。
また相手の顔色をうかがうばかりで、他人にとって「都合のいい」人になってしまっては、自分自身の人生を生きることができません。
人間関係のストレスを回避しようとするあまり、別のストレスを抱え込むことになるのです。
「それで人に好かれるなら構わない。何事もなく過ごせるなら、それでいい」と、繊細なあなたは言うかもしれません。
しかし、仮面をかぶるということは、相手次第で態度を変えるということ。そんな人が本当に愛され、信用され、いい人間関係を築けるでしょうか?
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