多様性の極めて低い男性中心、製造業中心の日本企業では、「言わなくてもわかる」「言えばわかる」という幻想がまかり通り、そのコミュニケーションの流儀は難解・不可解・誤解だらけです。
同質性の高い組織の中で、「あうんの呼吸」「以心伝心」で理解してもらえるという思い込みがあり、「わかりやすく話す」という技術が培われてきませんでした。
"ありんこ"のように極小の文字で埋め尽くされた資料や専門用語だらけの説明、抑揚のまったくない話し方、ただただデータやファクトや抽象論だけをたれ流すプレゼン、スピーチ、あいさつ……。
多様化社会、グローバル社会の現代に、いまだこうした「ホワイトカラー村」の内輪言葉に固執しているのが、「日本のエリート」の現実なのです。
「知識の呪い」と言われる現象が⋯
語弊がある言い方かもしれませんが、「わからない人が『なぜわからないのか』が、わからない」エリートが少なくありません。
自分は理解できるのだから、相手も理解できるはずだと思い込み、自分なりの解釈・説教・説明を押し付ける。
これは「知識の呪い」と言われる現象で、自分がよく知っていることほど、知らない人の身になることが難しいということです。
「エリート」は難しいことを難しいまま、何なら、やさしいことまで難解な言葉に置き換えて話す傾向があります。
シンプルな言葉に咀嚼して、誰にでもわかりやすく伝えるのが非常に苦手。これは官僚や法曹界、医者など「超エリート」の使う言葉を見れば、よくわかるでしょう。
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