先進国では、1980年代を通じて、中央銀行の独立性が着実に増していった。高所得国の中央銀行は、一般の公務員と同等の自律性しか持たない機関から、裁判官に与えられているのと同じ独立性を持った機関へと、一歩一歩近づいていった。
インフレ目標の導入と短期金利の操作
中央銀行は独立性を強めただけではなかった。インフレを直接、目標にし始めた。
1970年代と80年代、中央銀行は中間的な指標(通貨集計量や信用集計量など)を目標にしていた。しかししだいにインフレと通貨供給量との関係は弾力的なものにできるという認識が広まっていった。
ある中央銀行総裁がいらだたしげにいったように、「われわれが通貨集計量を捨てたわけではない。通貨集計量がわれわれを捨てたのだ」った。
世界で初めて中央銀行に明確なインフレ目標を設定させた国は、ニュージーランドだった。
1990年、ニュージーランド政府は中央銀行にインフレ率を0~2%の範囲内に抑えるよう求めた。ニュージーランドではそれまで何年も2桁台のインフレが続いていて、これはそのような極端な物価の不安定さを解消するために講じられた措置だった。
ほかの国々もすぐに追随した。カナダでは1991年、英国では1992年、オーストラリアでは1993年、それぞれインフレ目標が導入された。
今日では、ほとんどの中央銀行が2%前後のインフレ目標を導入している。2%前後を目標にするのは、それが物価を安定させると同時にデフレを回避できるインフレ率水準と考えられているからだ。
高インフレは物価を不安定にさせるが、デフレも問題を招く。デフレ下では、来年になればもっと安く買えるという期待から、家計が大きな買い物を控えるせいで、消費が鈍ってしまうことがある。
中央銀行が行っているのは、具体的には短期金利の操作だ。中央銀行は短期金利の操作を通じて、民間銀行が家計や企業にお金を貸すときの長期金利に影響を与えている。
なぜ金利が経済に多大な影響を及ぼすのか。金利とは、将来まで待たずに今、購入することの「代償」だと考えるとわかりやすい。
金利が低ければ、企業や個人は計画を実行に移そうとするインセンティブを与えられる。その計画は、新しい事務所を開くことかもしれないし、家を購入することかもしれない。金利の低さは変化を引き起こす。
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