鎌倉時代の文芸評論『無名草子(むみょうぞうし)』では、清少納言の晩年について、次のように記している。
「めのとの子なりける者に具してはるかなる田舎にまかりてすみけるに 襖(あを)などいふもの干しに外にいづとて 昔の直衣姿こそ忘れねとひとりごちけるを見侍りければ あやしの衣着てつゞりといふもの帽子にして侍りけるこそ いとあはれなれ」
「めのとの子なりける者」、つまり乳母の子だった者に連れられて、清少納言は田舎に住んでいた。
落ちぶれた清少納言がつぶやいたこととは?
「襖」という庶民の着る着物を外で干しながら、「昔の直衣姿こそ忘れね」、つまり、こんな独り言を言ったのだという。
「昔の直衣姿が忘れられない」
直衣は貴族の着る衣服のことだ。宮中での暮らしを切なく思い出して、そんな独り言を言う清少納言の姿を「見侍りければ」、ある人が目撃したという。
清少納言は粗末な衣を着て、ぼろ切れの継ぎはぎを帽子にしており、「いとあはれなれ」、つまり、気の毒だった……と感想が書かれている。
人の家をのぞいているこの目撃者も、たいがい「いとあはれ」な人物な気もするが、「清少納言が落ちぶれた」ということを言いたいらしい。
鎌倉時代の説話集『古事談(こじだん)』では、「清少納言零落の後(清少納言が落ちぶれた後)」として、さらに強烈な逸話が紹介されている。
なんでも、大勢の若い殿上人が車に同乗し、清少納言の家の前を通ったところ、「宅の体、破壊したる」、つまり、ひどく家が崩壊していたらしい。車内ではこんな会話が交わされた。
「少納言、無下にこそ成りにけれ」
少納言は悲惨なことになってしまった――。
かつては定子のそばであれだけ輝いていたのに……と言いたげである。心配しているふりをしながら、落ちぶれた様をどこか楽しんでいるように見えるのは、私だけだろうか。
しかし、説話集『古事談』には続きがある。
桟敷に立っていた清少納言はそれを聞いて簾をかき上ると、「鬼形(きぎょう)のごとき女法師」、つまり、鬼のような尼僧姿をあらわして「駿馬の骨をば買はずやありし」と言った。現代語訳すれば、次のようになる。
「駿馬の骨を買わぬつもりか!」
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