紫式部が反論「自分への悪口とあだ名」呆れた中身 目の敵にされた紫式部は、馬鹿げていると記す
同僚に言いたいことがあっても我慢
『紫式部日記』の中には、紫式部が自らの想いを吐露している箇所がいくつもあります。
一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)の女房として働く紫式部は、多くの同僚の女房たちとともに働いていました。
同僚に「言いたいこと」はあるけれど、「いやいや」と思い直しグッと我慢することもあったようです。それは「わかってくれない人に言っても、何の得にもならない」からだとのこと。
他人を貶して「我こそが」と思っているような人の前では、「口を利くのも」嫌になるそう。紫式部は、そうした鬱陶しい人の中には、なんでもこなせる優秀な人は滅多にいないと記しています。
また、そうした人が、同僚である紫式部の顔を見て(紫式部は、立派な私を前にして、引け目を感じているのだ)と思い込むこともあったようです。
しかし紫式部曰く、それは「引け目を感じて、黙っている」のではなく、「これ以上貶されたくない」という気持ちだったから。
つまり、紫式部は傲慢で鬱陶しい人との交流を面倒に感じて、「ボケて何もわからない人物に完全になりきっていた」のでした。
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