紫式部が反論「自分への悪口とあだ名」呆れた中身 目の敵にされた紫式部は、馬鹿げていると記す
そんな紫式部に対し、同僚の女房は「あなたがこんな人だとは思ってもみませんでした。もっと気取っていて、他人を威圧し、近づきにくく、よそよそしい。物語好きで、何かというと歌を詠み、人を人とも思わない、憎らしい顔で他人を見下す人に違いないと感じていました」と告げたのです。
更には「そんなことを、皆で言い合って、あなたのことを毛嫌いしていたのです。それが会ってみたら、不思議なほど、おっとりしていて、別人ではないかと思ったほどでした」とも言ってきたようです。
そんな話を聞き、紫式部は同僚からの言葉を「恥」と思い、また「おっとりしていると見下されてしまった」とも感じました。
しかし、紫式部は他人からそう思われても「これが自分(紫式部)の本性なのだ」と考えを変えて、仕事を続けていました。
すると、中宮彰子からは「最初はあなたと心を割ってお付き合いができると思ってもいませんでしたが、不思議なことに、ほかの人よりも、とても仲良くなりましたね」とおっしゃっていただいたこともあったようです。
「一癖ありつい気兼ねしてしまう上臈の女房たちにも、不快に思われずに、ちゃんと(自分)を見ていただけるようにしたいものです」と紫式部は記します(※平安時代の女房は上から、上臈、中臈、下臈と、序列がありました。紫式部は中臈だったとされています)。
紫式部が鬱陶しいと批判してきた人々は、おそらく、上臈の女房の中にいるのでしょう。
紫式部が思う「女房としての心構え」
一方で、紫式部は女房としての心構えも、日記の中でつづっています。
女房は、雰囲気がよく、人当たりも穏やか。心に少し余裕を持ち、落ち着いていなければならない。そうすると「教養も風情も魅力となり、安心して見ていられる」し、人柄が素直であれば、他人から毛嫌いされることはないと、紫式部は説きます。
逆に「我こそが」という気持ちで振る舞って、態度も大げさになると、他人から変な目で見られてしまい、注目が集まってしまいます。
注目が集まると、その人の言葉や動作の中から、必ず欠点が顕わになってしまいます。なぜなら、人のことを貶したり、見下したりする人は、あら探しをするからです。
でも「我こそが」と振る舞わず、癖がない人であるならば、つまらない噂が流れたとしても、情けをかけてやりたくなる。そう紫式部は述べています。
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