【朝ドラ】やなせたかし「ライバルたちが活躍」も取り残されて…居たたまれない夜に誕生した"名フレーズ”とは?

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手のひらを太陽に
(写真:Masakichi / PIXTA)
NHKの連続テレビ小説「あんぱん」が、放送回を重ねるごとに注目を集めているようだ。漫画家のやなせたかしと妻の暢(のぶ)をモデルにした物語である。やなせたかしといえば、子どもたちに人気の「アンパンマン」の作者として知られているが、ブレイクしたのは69歳のとき。30代でマンガ家デビューを果たして以来、長く不遇の時代を経験している。遅咲きだったやなせたかしは、いかにして飛躍したのか。『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。
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職場のストライキをきっかけに退社を決意

戦後に勤めた高知新聞社を辞めて上京し、暢(のぶ)とともに新婚生活をスタートさせた、やなせたかし。日本橋三越に入社すると宣伝部に配属されて、売り場の看板のデザインをしたり、三越劇場のポスターを描いたりと、充実した社会人生活を送っていた。

その一方で、マンガの投書にも励み、小島功、関根義人、金子泰三らが結成した「独立漫画派」に参加。会社帰りには毎日のように銀座の事務所に立ち寄り、マンガを描きまくった。

安定収入を得ながら、好きなマンガでも稼ぐ――。そんな働き方は、理想的なようにも思える。だが、やなせ自身は30歳を過ぎてもなお、漫画家として無名であることに焦りを感じていたようだ。こんな葛藤があったと振り返っている。

「収入は少しずつふえて、まあ気楽な暮しだったが、このままずーっと定年まで勤めても、うまくいって宣伝部長どまり。退社してフリーになりたいと思いながら、自信がない」

そんなとき、三越でストライキが起きた。やなせは会社側にも組合側にもつきたくなかった。「正義はやはりアイマイで、どちらが正しいとはいいきれなかった」という心境に至り、社内のゴタゴタに嫌気がさしたようだ。これを機に会社を去ることを決意している。

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