【朝ドラ】やなせたかし「ライバルたちが活躍」も取り残されて…居たたまれない夜に誕生した"名フレーズ”とは?

職場のストライキをきっかけに退社を決意
戦後に勤めた高知新聞社を辞めて上京し、暢(のぶ)とともに新婚生活をスタートさせた、やなせたかし。日本橋三越に入社すると宣伝部に配属されて、売り場の看板のデザインをしたり、三越劇場のポスターを描いたりと、充実した社会人生活を送っていた。
その一方で、マンガの投書にも励み、小島功、関根義人、金子泰三らが結成した「独立漫画派」に参加。会社帰りには毎日のように銀座の事務所に立ち寄り、マンガを描きまくった。
安定収入を得ながら、好きなマンガでも稼ぐ――。そんな働き方は、理想的なようにも思える。だが、やなせ自身は30歳を過ぎてもなお、漫画家として無名であることに焦りを感じていたようだ。こんな葛藤があったと振り返っている。
「収入は少しずつふえて、まあ気楽な暮しだったが、このままずーっと定年まで勤めても、うまくいって宣伝部長どまり。退社してフリーになりたいと思いながら、自信がない」
そんなとき、三越でストライキが起きた。やなせは会社側にも組合側にもつきたくなかった。「正義はやはりアイマイで、どちらが正しいとはいいきれなかった」という心境に至り、社内のゴタゴタに嫌気がさしたようだ。これを機に会社を去ることを決意している。
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