紫式部「清少納言の作品」を"猛烈批判"その心の内 「奇をてらうばかりで中身がない」と酷評した
『紫式部日記』には、紫式部の名もなき同僚(一条天皇の中宮・彰子に仕える女房たち)に対する想いが記されているだけではなく、和泉式部や赤染衛門、清少納言など、現代のわれわれも「知っている」著名人についての評価も書かれています。紫式部は彼女たちに、どんな想いを抱いていたのでしょうか。
和泉式部はどんな人だったのか
まず『紫式部日記』で登場するのが、和泉式部です。和泉式部は、彰子の女房でした。紫式部と仕えていた人は同じだったようです。
辞典類には生没年不詳と書かれることがありますが、978年頃に生まれたのではないかとの説もあります。そして、1027年までは生存していたと推測されているので、やはり紫式部と同時代に生きていたことが推察されます。
和泉式部の父は大江雅致、母は平保衡の娘。和泉式部の母は、朱雀天皇の皇女・昌子内親王に仕える女房でした。
和泉式部は、橘道貞と結婚します。夫が和泉守に就任したことから「和泉式部」と彼女は呼ばれました。
和泉式部と夫との間には、女児(小式部内侍)が誕生しました。しかし、和泉式部と夫・道貞は不和となり別居します。
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