本名ではない「紫式部」、なぜ紫式部と呼ばれたか 生まれ年や没年すらもいまだ謎に包まれている
平安時代中期の作家・紫式部は謎の多い女性です。その生まれ年さえもわからず、これまで、さまざまな説が提示されてきました。
970年や、973年、978年生まれなど、さまざまな説があります。今でも定説はないのが、現状です(ちなみに没年についても複数の説があります)。つまり、多くの人が式部の生没年に迫ろうと努力を重ねてきたのです。
「紫」「式部」どんな意味?
余談になりますが、紫式部というのは本名ではありません。彼女の本名もまた不明なのです。紫式部というのは女房名(宮中での呼び名)なのです。
彼女を式部というのは、父・為時が花山天皇のときに、式部丞を務めていたからでした。式部丞は式部省(人事・儀式・教育全般を担当)の役人です。
では「紫」とは何でしょうか。これも定説はありませんが、『源氏物語』の登場人物「紫の上」に由来するのではとの説もあります。
さて、式部の生まれ年について見ていきましょう。これについて、手がかりになるようなものは残されていないのでしょうか。1010年に書かれた式部の手紙があるのですが、そこには、そのときの式部の年齢を探るうえでのヒントがあるように思います。
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