本名ではない「紫式部」、なぜ紫式部と呼ばれたか 生まれ年や没年すらもいまだ謎に包まれている

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幼い頃の、父に関する思い出もあり、7歳の頃には、礼装した父の姿が印象に残っていたようです。乳母は式部に「お父様は今日は、東宮様(師貞親王、後の花山天皇)の御読書始で副侍読を務めるのです」と話して聞かせたといいます。

幼い式部にとっては、それが具体的にはどういうことかはわからなかったようですが(お父様はきっと偉いのだわ。素晴らしいことだわ)と感じたようです。

式部が10歳の頃には暴風雨が吹き荒れ、塀や垣根が倒れるという出来事もありました。役所の建物も多く倒壊したと女房たちが噂をしていました。式部はその話を聞いて出かけようとしたようです。どのようなことになっているか、この目で見てみたいと思ったのですね。

子供はこうした好奇心を持ちますが、なかには怖がって見に行かないという子もいるはずです。それを思えば、式部は恐怖心よりも、好奇心が勝った、好奇心溢れる少女だったと言えましょう。「何でも見てやろう」の精神があったのかもしれません。

しかしその式部の企みも、乳母に止められてしまい、果たすことはできなかったようです。私は式部のこの逸話に、将来、『源氏物語』を書くだけの才能ありと感じてしまうのですが、考えすぎでしょうか。

読書の楽しさを知った式部

幼い頃、親に褒められた記憶というのは、後年まで残るもの(その逆で叱られた記憶も)ですが、式部も例外ではありませんでした。

父・為時は、息子の惟規に本を読ませていたのですが、なかなか、その内容が覚えられなかったようです。そばで聞いていた式部のほうが、不思議と本の内容を覚えていったのでした。それを見た父は「この子が男子だったらよかったのに」といつも嘆いていたそうです。この話を記した式部の得意気な顔が浮かびますが、惟規のことを思えば、少し可哀想ですよね。

式部はこの逸話の頃は10歳、弟の惟規は8歳だったとされています。「この年齢では女子のほうが早熟であり、年齢の相違もあることゆえ、式部が彼に比べて褒められたのも無理はない」との声もあります。確かに、小学生の低学年くらいのことを思い起こせば、優秀な女子、結構いたように思います。

それはとにかく、幼少の式部は、父と弟の学問・読書の様子を見るうちに、読書の楽しさというものを知っていったようなのです。「栴檀は双葉より芳し」ということでしょうか。

(主要参考文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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