紫式部が目撃「宮中で女性の悲鳴」とまさかの光景 式部たちが恐る恐る様子を見に行ったところ…
大晦日の宮中では鬼や疫病払いが行われた
一条天皇の中宮・彰子の敦成親王出産など、喜ばしいことがあった寛弘5年(1008年)もいよいよ年の瀬。宮中では、追儺(ついな)が行われていました。
追儺(鬼やらいとも言う)とは、悪い鬼を追い払い、疫病を払う、といった新年を迎えるための儀式の1つです。もともとは中国の宮中で行われていたものが、日本に伝来してきたのでした(7~8世紀の文武天皇の頃に伝来との説も)。現在、日本各地で行われている節分の豆まきの前身だと言われています。
1008年の大晦日の夜に行われた、追儺はとても早く終わってしまいました。
中宮に仕える紫式部もこの行事を見物していたようですが、早く終幕してしまったので、局(女房の私室)に戻り、お歯黒を付けたり、みだしなみを整えたりして、くつろいでいました。そこに紫式部の上司のような存在であった弁の内侍がやってきます。紫式部に一言二言話しかけると、弁の内侍は横になりました。静かな大晦日の夜。このままこうして新年を迎えるものと、誰もが考えていたことでしょう。
するとそこに、静寂を破る大声や叫び声が突然響いてくるのです。それも中宮の部屋のほうからでした。
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