紫式部が反論「自分への悪口とあだ名」呆れた中身 目の敵にされた紫式部は、馬鹿げていると記す
女房たちと生活を送る中で、紫式部自身も自分の悪口が聞こえてくることがあったようでした。
左衛門の内侍(彰子の女房)は、紫式部をなぜか目の敵にして、不愉快な陰口を叩いていたようです。
例えば、帝(一条天皇)が紫式部が執筆した『源氏物語』をほかの女房たちに朗読させたことがありました。そのとき、帝は「この物語の作者に、日本書紀を読み解いてほしい。実に漢文の素養があるようだ」と仰せになりました。
これを聞いた左衛門の内侍は「紫式部は漢文の素養がとてもある」と殿上人に言いふらし、紫式部に「日本書紀講師女房様」というあだ名まで付けたとのこと。紫式部としては、馬鹿にされたと思ったのでしょう。
その悪口を聞いて、紫式部は「非常にばかばかしい」と一刀両断しました。「実家にいる女房の前であっても、私は慎んで過ごしているのに、日本書紀の講読会で素養をひけらかすなどありえない」との反論を記しています。
でも、紫式部はちょっとした自慢も書いています。
紫式部の弟・惟規がまだ幼かったときのこと。紫式部は、弟が漢籍を朗読するのを横で聞いていました。
弟は漢籍を暗唱するのに、とても時間がかかったのですが、紫式部は「不思議なほどスラスラ」と読み上げたのだとか。
その様子を見た紫式部の父・藤原為時は「残念だ、お前(紫式部)が息子でないのが。私の運の悪さだ」と嘆いたということです。
ところが、いつの頃か、誰かが「男でも、漢文の素養を鼻にかけるというのは、どうなのだろうか。皆、ぱっとしないとお見受けする」と話すのを聞いて、紫式部は「一」という漢字すら書かなくなりました。
昔読んでいた漢籍すらも、今では読んでいないにもかかわらず、左衛門の内侍が「日本書紀講師女房様」と悪口を言ってきたのだから、この悪口を聞いた人が「どれだけ自分のことを毛嫌いするだろう」と紫式部は気が気ではありませんでした。それゆえ、屏風に記された漢文も読めない振りをしていたのです。
紫式部は漢文を読めないフリをしていたが…
それなのに、中宮が紫式部に『白氏文集』(中国唐の詩人・白居易の詩文集)の一文を読ませることもありました。
紫式部が控えめに、たどたどしく、読み上げる様子が目に浮かびます。中宮は漢文にご関心があったため、紫式部が『白氏文集』の漢詩について、密かにご進講したこともあったそう。イヤイヤながらという雰囲気は感じられません。紫式部も案外喜んで、得意気に講義していたのではないでしょうか。
それでも、紫式部の心配は、この事が左衛門の内侍の耳に届かないか、ということにありました。もし、この秘密がバレたら「どんなに私をこきおろすことでしょう」と紫式部は記しています。そして「何事につけても世の中は、噂が飛び交い、憂鬱なものです」とも述べています。
(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
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