「やりたいこと」より「役立つ資格」を選ぶ人の盲点 「社会が設定した欲望」は誰がつくっているのか

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舟津:そうなんですよ。こういう仕組みは世の中にあふれていて、就活もほとんどは用意されたレールに乗っているのに、自分で選んだかのように見せかけられています。

だからこそというか、卒論であれば、「あなたのやりたいことをやりなさい」と無理矢理にでも考えさせることができるはずなんです。そういう過程を経て、自分の中にやりたいことは見つかっていくものです。

もちろん、一部の学生には「やりたいことがない」という人もいます。でも、ないことを認めつつも、何らかの好き嫌いはあるはずで。卒論にならなくても、例えばこういうドラマが好きだとか、こういうマンガが好きだとか、そういうものがあれば十分だと思うので。言葉にすると陳腐ではありますが「自己発見」のために、ときには強制する必要がある、という逆説は成立するのかなと思います。

なんでも「自分の責任」と考えると疲れる

三宅:指導教官が「好きにやりなさい」と責任を持って強制するなら、卒論は学生にとって自分のやりたいことを探す、いい機会になりそうですね。

三宅 香帆(みやけ かほ)/文芸評論家 1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。
三宅 香帆(みやけ かほ)/文芸評論家 1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。

私の著書の中で引用した『疲労社会』という本の言葉を借りると、20世紀型の強制と言えるかもしれません。つまり20世紀型は、上司が部下に「こうしろ」とか「何時間残業しろ」という強制だった。一方で、舟津さんが先ほどおっしゃったような、自分で選んだかのように見せかけるのが、21世紀型の強制の型。20世紀型であれば、ある意味責任は上司にありますが、21世紀型だと「働かない自分」「競争に勝たない自分」に責任があるので、もっともっとと自分を煽って疲れてしまい、実はすごく鬱が近いという。

『疲労社会』は働いている人の話をしていますが、私は学生たちも同様だと思います。昔なら反抗的な不良が多かったのに対し、今では「いい子」が多くなっているのは、そう誘導する抑圧が強化されているから。本当はその誘導を真に受けすぎると学生たちもしんどいし、疲れてしまうのですが。

ときには親や先生、会社の言うこと疑って、サボるときはサボるとか、そういう使い分けができたらいいんですけど、かなり器用じゃないと難しいな、とはすごく思いますね。

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