「やりたいこと」より「役立つ資格」を選ぶ人の盲点 「社会が設定した欲望」は誰がつくっているのか
舟津:そうですね、今の話を聞いて思うのは、真面目であれと強制されるのは若者だけでなく、社会全体なんですよね。一方で鳥羽和久さんと対談したときに出たような、その真面目さはフェイクで、裏をかいたやつが結局勝てるんだと心の底では思っている「不真面目社会」でもあるという両面性も備えているのですが。
ただ、プレッシャーに対して、効率的かつ完璧に応えなければならないと多くの人が思っている。それがさらに怖いのは、誰かに言われるわけではないけれど、自分の中で強迫観念的に強くなっていくことです。
三宅:そうなんですよね。だから、本書にあったモバイルプランナーも、真面目にやりすぎていなかったら、そんなに危ないものじゃないと思うんですよ。そうした真面目さを、本も含めた「ノイズ」が解毒できないかなと、最近は考えています。
「受験に勝つためにSNSをやめました」
舟津:今聞いていて思い出したことがあります。SNSネイティブな若者たちがSNSにどっぷり浸かっているのは間違いないのですけど、「受験のときにはSNSをやめた」という話もよく聞くんですよ。そういう話を聞くと、真面目だなと感心します(笑)。これはある意味でノイズを排除しているわけで、立派といえば立派です。でも、受験で他のものを一切排除できたから今後も同じようにできるし、しないといけないと考えるのは、危なっかしい気がします。
三宅:そうですね。いろんな人の話を聞いていても、「受験や部活のような競争に勝つためなら、なんでもやれ、競争に寄与しないことはやるな」という全身全霊信仰が日本にはかなり浸透しているんだなと感じます。自分自身も受験を頑張った人間なので余計にそう思うのかもしれませんが、「全身をささげて頑張ってコミットして勝たなければならない」という論理が日本の社会で形成されるのは、非常に理解できます。全身全霊信仰のベースには、やっぱり受験や部活が果たしている役割は、すごく大きいように思いますね。
舟津:そうですね。ステレオタイプですけども、もはや国民性と言いたくなるような感覚です。「より大事なことを成就させるためには、それ以外を排除しないと不真面目である」という思い込みがある。
三宅:でも、社会に出たら、仕事って基本的に並行して進めなきゃいけないですよね。