「やりたいこと」より「役立つ資格」を選ぶ人の盲点 「社会が設定した欲望」は誰がつくっているのか
三宅:でも、社会が求めるものって変わってしまうものなんですよね。今はAI産業が脚光を浴びていますが、10年後、20年後にはどの業界が注目されているかわかりません。結局、社会の求めに応じて動いていたら、求められなくなることもあるのではないのかと、私は思っています。
もちろん、順応性が高くて逃げ切れる人たちもいますが、そうでない人たちも多いはずで、そのときに社会は責任を取ってくれない。だったら、選びたいものを自分で選ぶとか、自分が欲望することをやるというのも重要だと思います。ただ、その欲望をどうやって育てるかは難しいですね。舟津さんは学生に対してどうアドバイスしていますか?
「好きなこと」を強制してやらせる
舟津:「自分の欲望を持つ」のがすごく難しいのは事実です。「いい子症候群」という言葉で揶揄する一方で、学生からすれば「でも、いい子じゃなくなったら何されるかわかんないでしょ?」という強迫観念は絶対に消せない。就活はまさにそうで、「なんか変だな」と疑問を持ちつつも、もし社会や会社が求める「いい子の就活」から外れたときの危険を考えたら、いい子になって従わざるをえない、というのは当然の結論だと思います。
ただ、絶対的な正解とも思いませんが、学生のやりたいことをいくらかは引き出せる教育もあるとは思うんです。例えば、卒論テーマを選ぶときに、「こういうのを選んでおけば指導教員は喜ぶし、減点なく通るだろう」という発想で決めようとする学生はいるじゃないですか。
三宅:卒論ではたしかにそういう考えの子はいますね。
舟津:そういう学生に対して、「それはあなたのやりたいことじゃないでしょ?」と問いかける。経営学を含め、文系学部では比較的自由にテーマを選べることが多い。だから我々が責任を持って、「もっと興味あることを選ぼうよ」と「強制」する。それを恐れてはいけないと思うんです。
ただ、学生自身が選んだように見せかけてしまうことも往々にしてあるのが、難しいところです。ジジェクという哲学者がテレビ番組の対談で、「権威についてのたとえ話」と題して語っていた話があります。
今度、子どもが祖母の家に行くかもしれない。「寛容」な「ポストモダン」の親は、「おばあちゃん家に行け、異論は聞かない」と言う代わりに、「おばあちゃんがどれだけあなたを愛しているか知ってるよね。でも、あなたが決めていいよ」といった言い方をする。そんなの、子どもは自分から「行きます」としか言えなくなる。
三宅:一見すると子どもが自分で決めたようには見えますが、用意された選択肢しかなかったのと一緒ですね。